2014年11月10日
岩鼻
国道を歩くと、岩鼻の絶壁が迫ってきます。国道と合流して、すぐに右へ入る北国街道の旧道がありましたが、見逃してしまい、そのまま国道を進んでしまいました。
このあたりでは、どこからとなくカレーの匂いがします。
岩鼻と千曲川との間を縫うように、しなの鉄道の線路と国道が走っています。ここは北国街道の難所と言われ、前田家の殿様が参勤交代でここを通る際、無事通過したことを都度、国元へ連絡していたそうです。
北国街道の難所を越えると坂城町に入ります。
すぐに、右手の遊歩道に入ります。
この遊歩道には水路を渡る度に橋の名前がついています。
「いちりづかばし」の先に鼠宿の説明板があります。鼠宿は上田宿と坂木宿の間の宿で松代藩の私設の宿場町でした。鼠とはユニークな地名です。
鼠の由来はいくつかあります。昔、この辺りに住んでいた大鼠が唐猫に追われ、岩鼻を嚙み砕いたという伝説からや、この場所に番所があったとか、狼煙台があったとか、千曲川の氾濫を監視するところがあったとかで、寝ずの番(寝ず見)をしていたことからとも言われています。
遊歩道の最後に会地早雄(あおちはやお)神社があり、鼠宿の南の入口にあたります。ここで、国道18号に入ります。
鼠宿
直線状に続く鼠宿の町並を歩きます。
ねずみ交差点の手前、左手の旧家の門の前に「明治天皇鼠宿御小休所・御膳水」碑が立っています。鼠宿茶屋本陣跡です。
その名も、ねずみ交差点を越えます。ところどころ旧家が見られます。
会地早雄神社から6分で鼠橋通り交差点に着きます。ここには桝形が形成されていて、鼠宿の北の入口となっていました。
さらに5分で、北国街道は不二家の手前で右に入ります。
南条地区の静かな住宅街となります。
国道から分かれて5分、左手に古めかしい公民館が建っています。
公民館から8分、右手の公園に小滝家邸宅跡の碑が立っています。平成17年(2005年)までその門が残っていたことが写真とともに記されています。
その先で、比較的広い道路を横断します。上信越道のインターチェンジへ通じる県道91号です。
この交差点の近くに西念寺という寺があり、芭蕉句碑が立っています。
「身にしみて大根からし秋の風」
松尾芭蕉が更科紀行で詠んだ句で、この地で詠んだのかは分かりません。しかし、坂城ではねずみ大根と呼ばれる辛味大根が名物で、すりおろした汁をそばつゆに混ぜて食べるそばは一品だそうです。残念ながら食べてはいませんが。
やがて、火の見櫓のあるところで国道18号と合流します。中之条交差点の手前です。ここから再び国道歩きとなります。
すぐの左手に、天領中之条陣屋跡入口の碑が立っています。中之条陣屋は明和4年(1767年)に坂木陣屋(現在の坂城駅付近)が火災で焼失したため、この地に移転され、明治政府が廃止するまで、一体を統治していました。陣屋跡はパスしましたが、遺構として井戸が残っているようです。さらに国道を歩きます。
国道歩きを初めて7分で、左の細い路地を入ります。分岐点には善光寺常夜灯が立っています。
しばらく歩くと、左手の視界が開けます。秋ですね。
その先、橋を渡ると行き止まりになってしまうため、渡ったところで右折して国道に出ます。
左折して国道に入ります。すぐに四ツ屋交差点に着き、国道を横断して、右手の三方に分かれる道の一番左の道を進みます。「こうがいの渡し」と書かれた標識に沿って進みます。
坂木宿
旧家の残る静かな住宅街を歩きます。四ツ屋交差点から10分で、田町十王堂交差点を横断して直進します。
北国街道は小田切商店の角で左へ直角に曲がります。
小田切商店を左折すると田町から横町に入ります。旧家も残っています。
5分でT字路に突き当たります。北国街道はここを右折しますが、本日の街道歩きはここで終了とします。左折して坂城駅へ向かいます。
そして、坂城駅に到着しました。時刻は14:30です。本日は5時間40分の行程でした。駅前の広場には坂木陣屋跡の説明板が立っています。中之条陣屋へ移転する前はこの地に陣屋がありました。
坂城駅から15:08発の軽井沢行の電車に乗り、10分ほどで上田駅に到着しました。今日の宿は上田駅温泉口にある上田東急インです。
北国街道(2)田中から坂城 その3へ戻ります。