2015年2月11日
鎌塚
鎌塚交差点まで迂回して国道17号を横断し、日光千人同街道の続きの道まで戻ります。左折して街道に入ります。
すぐに先ほど横断した鎌塚交差点からの道と合流し、ここを右折して入ります。比較的交通量の多い道ですが歩道が整備されていて歩き易いです。
やがて道の先に上越新幹線の高架が見えてきます。
新幹線の高架の手前、がんがら落に架かるがんがら大橋を渡ります。珍しい呼び名ですが、「雁柄」と書くようです。親柱が特徴的です。
新幹線の高架をくぐった先の二股の交差点を右に入ります。
新幹線の高架をくぐって前谷地区を歩くこと12分、国道17号バイパスを前谷交差点で横断します。下の写真は横断歩道橋の上から熊谷方面を見たものです。中央分離帯にかなりの幅を取っています。
その先は住宅地に入ります。新兵衛地蔵尊と記された背の高い常夜灯が右手に立っています。新兵衛地蔵尊は忍城近くの清善寺にあります。
常夜灯からすぐのT字路を左折します。その先で、比較的広い市道と合流するのでここを右折します。
ケヤキの街路樹が続く道を歩きます。
左手に水城公園を見ながら、交差点を右折して7分のところに趣のある建屋があります。足袋蔵です。行田市には明治から昭和に建てられた、蔵が200戸もあると言われています。中でも行田市の主要な産業である足袋を保管する蔵が多く見られるそうです。この蔵は昭和初期に建てられた数少ない木造の蔵です。
その先にある高源寺交差点着き、日光千人同心街道はここを左折します。また、ここは右からの館林道との合流点でもあります。館林道は中山道の箕田の追分から、この地で日光千人同心街道と合流して、館林宿まで通じています。
左折するとすぐの右手奥に高源寺が見えます。
さらに、すぐのところを左へ入ります。
左手は佐間天神社があります。かつて忍城の佐間口がこのあたりにあったと言われ、重臣正木丹波守利英の屋敷がありました。
その先ですぐに元の道に戻ります。
天満地区を歩きます。
さらに進むと、左手には八軒御門跡碑が立っています。忍城15門のひとつです。
その先、左手にあるのは大澤蔵です。レンガ造りのモダンな蔵です。大正15年(1926年)に建てられました。街の中心部に入り、あちらこちらで蔵を見ることができるようになります。
アーケード商店街には忍城の幟が飾られています。
高源寺交差点を左折して13分、駅入口の交差点に着きます。左右の道は国道125号です。千人同心街道はここを右折し、このあたりから忍宿が始まります。本日の街道歩きはここまでとして、交差点を左折して「のぼうの城」で有名な忍城に向かうことにします。
国道125号を西へ向かって歩き、行田市役所入口交差点を左折します。さらに、市役所先を右折して小路に入ります。「浮き城の径」と石碑には記されています。
浮き城の径を進むとその先に忍城が見えてきます。通りを横断して冠木門をくぐると堀を前にした忍城(御三階櫓)に出ます。忍城は明治維新の際に取り壊されましたが昭和63年(1988年)に再建されました。
右手、堀を渡って城門をくぐります。
中に入ると、すぐ右手には時鐘があります。かつては、二の丸にありました。城内には郷土博物館もあったので、見学しました。
忍城を後にして、国道125号を戻ります。駅入口交差点の左角には武蔵野銀行の瀟洒な建物が建っています。この建物は、旧忍貯金銀行の店舗として昭和9年(1934年)に竣工しました。国の登録有形文化財に指定されています。
この建物の前には高札場跡の石碑が立てられています。
駅入口交差点を左折して、行田市駅へ向かいます。歩道には忍城案内のプレートが埋め込まれています。この道しるべは、ものつくり大学のものつくりコンペのデザイン賞を受賞したということも併せて記されています。
上を見上げると古代蓮の花をイラストにした街灯が並んでいます。
古代蓮は、昭和46年(1971年)に市内の公共工事中に発見された蓮の種が発見されて、それが発芽して花が咲きました。発見された地層の年代から1,400年から3,000年前と推定されて、そう呼ばれています。実際には種の年代を測ったものではないようです。現在はこの辺り一帯が公園として整備され古代蓮の里と呼ばれています。行田市駅から南東へ5km行ったところにあります。
そして、13:00に行田市駅へ到着しました。今日は4時間20分の行程でした。