2015年4月18日
忍宿
行田市駅に8:00頃到着しました。花粉の時期を避け、2か月ぶりです。天気は晴。風もなく暖かいです。8:05からTシャツ+シャツ+ソフトシェルの恰好で歩き始めます。桜はすでに散ってしまい、ハナミズキの花の季節になりました。
駅前通りを南に向かって歩き、本日のスタート地点である駅入口交差点、埼玉りそな銀行の角を左折して日光千人同心街道に入ります。このあたりが忍宿の入口と言われています。
埼玉りそな銀行の隣にある埼玉縣信用金庫あたりに本陣がありました。
店の前には御本陣跡と刻まれた石碑が立っています。また、本陣の東隣には脇本陣がありました。
信用金庫の隣の隣には、かつて足袋の原料を商っていた保泉商店の蔵並みを見ることができます。明治末から、大正、昭和と蔵が建てられて現在の蔵並みになりました。足袋の原料倉庫として使われていました。
この県道128号の通りには、昔ながらの遊びの姿を現した銅製の童人形が飾られています。総勢39基あり、「銅人形の童たちが遊ぶまち」という作品だそうです。
駅入口の交差点を左折して10分弱で、街道はフォトステージノアの角を左折します。
県道から左折してすぐの右手に行田馬車鉄道発着所跡碑が立っています。行田馬車鉄道は明治38年(1905年)に現在の吹上駅付近からこの地まで開通し、大正12年(1923年)まで運行していました。その路線は、前回と今回歩いた道がそのまま該当するそうです。
さらに、突き当りを右折します。
その右手公園の前に長野口御門跡碑が立っています。長野口は忍城の北東の守りの拠点となっていました。天正18年(1590年)、石田三成が忍城攻めを行った際に、この地で激戦が繰り広げられたと言われています。
公園の先には忍川に架かる小沼橋があります。江戸末期から明治時代にかけてこの地は忍川の船運で栄えました。橋の手前、右手公園内に、船着き場跡碑が立っています。
かつての船着き場を眺めつつ忍川を渡ります。今はコンクリートの護岸に挟まれた静かな流れです。
桜町に入ります。雰囲気のある通りです。
小沼橋を渡って7分で、右手には横田酒造があります。創業は文化2年(1805年)だそうです。主屋の店舗にかかるキリンビールの看板はとても趣があります。でも、日本酒「日本橋」「浮城」の醸造元です。
すぐの十字路を左折して県道7号に入ります。
県道に入ってすぐのところにある秩父鉄道の踏切を渡ります。踏切手前の左手奥には東行田駅が見えます。
踏切を渡ると左手には久伊豆神社の大きな鳥居が立っています。成田氏が忍城築城の際に鬼門の守護神として祀りました。文明年間(1469~1487年)の創建と言われています。
長野地区、桜ケ丘小学校の脇を歩きます。
県道7号に入って15分、小見南交差点で国道125号行田バイパスを横断します。
行田バイパスを過ぎると住宅もまばらになってきます。
小見南交差点から7分で、右手に小見真観寺古墳、左手に虚空蔵山古墳があります(下の写真)。虚空蔵山古墳は前方部が残り、発掘調査によると後円部は県道の反対側まであったと言われています。
その先は小見交差点です。武蔵橋で武蔵水路を渡ります。武蔵水路は利根川と荒川をつなぐ水路です。そういえば、中山道を歩いた際に、箕田地区で武蔵水路を超えました。
すぐのところ、棒川橋で見沼代用水を渡ります。つつじと菜の花の組み合わせが色鮮やかで美しいです。
見沼代用水は江戸時代に開拓された灌漑用水です。行田市で利根川から取水され、上尾市で綾瀬川をくぐった先で、東縁と西縁に分かれ、東縁は足立区へ、西縁はさいたま市南区へ流れています。そういえば、日光御成街道を歩いた際に、鳩ケ谷宿内で東縁を越えました。
橋を渡ると荒木地区に入ります。すぐ先で、道は二股に分かれますが、街道は左手方向になります。右手へ進むと、秩父鉄道武州荒木駅に至ります。
その先右手には荒木天満宮があります。鳥居が二つ並んでいます。創建は不明ですが、新編武蔵風土記にはその名前が記載されています。
荒木の町並みを見つつ、分岐から8分で荒木の交差点に出ます。街道はこの交差点を右折します。