2015年12月5日
青柳
今年の4月に、ここ茂林寺前駅を訪れて以来、約8か月ぶりとなります。今日は日光千人同心街道の最終区間である天明宿まで歩く予定です。茂林寺前駅に電車で着いて、9:10から歩き始めます。まずは、本日のスタート地点である茂林寺入口交差点を目指します。
駅を出て右手の線路沿いを歩き、突き当りを右折して踏切を渡ります。群馬銀行の狸を見つつ、10分強で本日のスタート地点である茂林寺入口交差点に着きます。
街道は、前回歩いた正面方向から交差点を左折します。したがって、右折して街道歩きを再開します。道は国道122号です。
茂林寺入口交差点から3分で諏訪町交差点の三叉路に着きます。左方向が国道122号で、街道は右手の県道に入ります。
その先、新宿二丁目交差点で国道354号を横断します。新宿歩道橋脇のイチョウは見ごろをすでに過ぎています。
諏訪交差点から12分で、東武線伊勢崎線の踏切を渡ります。街道は館林宿に向けて真っ直ぐ延びています。
館林宿
新宿一丁目交差点を過ぎると、電柱のないすっきりした歩道になります。
踏切を渡って5分ほどで、館林駅入口交差点に着きます。交差点の手前、右手にケヅカ書店(下の写真のミントグリーン色の店)がありますが、このあたりに江戸口門があり、館林宿の入口でした。
ふと、館林城址でも寄ってみようかと思い立ち、館林駅で観光情報を取るために駅に寄ってみました。
館林駅入口交差点を左折して、しばらく歩くと、そこには立派な駅舎がありました。ロータリーの向かいに観光案内所があり、そこで地図などをもらおうとしたら、城址はほとんどありませんよと言われました。それでも、見所マップを頂いたので、館林城方面へ寄り道することにしました。
再び、館林駅入口交差点に戻り、街道を横切ります。一つ目の日本生命ビルが角にある交差点を左折します。
交差点の左手には青龍神社があります。入口に葵の紋が見られます。江戸時代、この周辺には福寿院というお寺があり、その境内に青龍の井戸がありました。伝説では、第6代館林城主徳川綱吉の時代に、突然、清水が吹きあがり、中から女官姿の青龍権現が姿を現したことから「青龍の井戸」と呼ばれるようになったと言われています。
交差点を左折すると、そこは何とも言えない懐かしさを感じる路地に入ります。酒屋や今はやっていない酒場が多く見られます。
右手に旧二業見番組合事務所が建っています。昭和13年(1938年)の建築で、二業とは芸者さんの置屋と料亭のことで、見番はそれらの取次ぎや料金の精算、取り締まりをしたところだそうです。1階は事務所、2階は芸者さんの稽古場であった舞台付き36畳の大広間があります。このあたりはかつて肴町と呼ばれ、魚屋が多かったと説明板に記されています。
さらに進むと、突き当りは外池商店の古い建物があります。昭和4年(1929年)の建築です。
外池商店の前を右折して道なりに進みます。
左手に、鷹匠町長屋門が建っています。平成21年(2009年)に復元されたものです。
長屋門の前を右折して館林城址方面へ進みます。ブロック畳の道になります。
すぐの右手に鷹匠町武家屋敷武鷹館があります。この武鷹館には、旧館林藩士住宅、長屋門、付属住宅が整備されており、中は自由に見学できます。このような建物は県内でも珍しく、平成11(1999年)年に館林市指定重要文化財になりました。
このあたりは、館林市が歴史の小路と名付けて整備されたところで、なんとなく武家屋敷町の雰囲気が出ています。
青龍神社から15分で県道7号に出るので右折します。
県道を一旦横断してから右へ進むと、市役所前交差点の手前に館林城址の標柱が立っています。そこから戻るように右手の石畳の坂道を上ります。
右手には城壁らしきものが見えてきて、城址の雰囲気が出てきました。
その先、右手には土橋門が復元されています。三の丸があったところです。土橋門をくぐって内側を覗いた後、土橋門前から右手(さらに先)へ進みます。
土橋門から数分歩き、通りに突き当るので右折すると城町交差点に出ます。ここをさらに右折します。
城町交差点の次のT字路の角に千貫門跡の石碑が建っています。このT字路を左折すると本丸跡方面へ行くことができます。
次のT字路の左手は館林女子高、右手は市役所になります。T字路を右折すると、右手にはレンガ色の市庁舎が建っています。