今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

館林道 北鴻巣から行田市 その2

 

20115年12月26日

 

下忍の一里塚

 

 右手工場の白い建物の手前にある駐車場に、下忍の一里塚が残っています。東の塚で、榎は当時のものだそうです。かなりの巨木です。説明板もあるようですが、工場の敷地内なので、道路から写真を1枚撮らせてもらいました。日本橋からいったい何里目なのでしょうか。追分からここまでの距離を考えると、中山道ではその先の久下の一里塚(15里目)あたりと同じ距離なのでしょうか。

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 一里塚から5分で、街道は突き当り、左斜めの道に入ります。しかしながら、ここで右折してさきたま古墳群へ寄り道をすることにします。

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 すぐの野合橋で忍川を渡ります。

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 野合新橋交差点を横切り、武蔵水路を越えると、その先はさきたま古墳公園になります。

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 めざせ世界遺産

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 まずは左へ入って、丸墓山古墳へ向かいます。丸墓山古墳の前の並木道は石田堤の跡です。

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 丸墓山古墳は直径105m、高さ19mの円墳で日本最大のものです。出土した埴輪から6世紀後半のものと推定されています。

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 石田三成忍城攻めの際、ここ丸墓山古墳に陣を張りました。古墳の上から忍城が良く見えます。石田三成忍城を眺めながら、ここでいろいろな策を巡らせたことでしょう。

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 反対側からは稲荷山古墳(左手前)や将軍山古墳(右奥)を望むことができます。

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 稲荷山古墳へ向かいます。稲荷山古墳の前方部は復元されたものです。

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 稲荷山古墳は5世紀後半頃のものと考えられ、さいたま古墳群の中で最初に造られた古墳です。昭和43年(1968年)の発掘調査で、後円部から多くの副葬品が出土され、その中の鉄剣から115文字の銘文が見いだされました。この鉄剣は他の副葬品とともに、昭和56年(1981年)に国宝に指定されました。

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 こちらは、将軍山古墳です。6世紀後半の古墳と推定されています。明治27年(1994年)に横穴式石室が発掘され、千葉県富津市付近で産出される房州石が使われていました。古墳時代の交易を知る上で重要な古墳です。

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 博物館のある南側へ向かいます。途中、埼玉県名発祥の碑が立っています。埼玉郡(前玉郡とも言われていた)という地名は律令制度が発足した当時に設置された郡と言われています。延喜式神名帳には埼玉郡の前玉神社の名前が記載されています。ここ行田市埼玉の地は巨大古墳群があり、前玉神社の鎮座する地でもあるため、埼玉郡の中心地であったと見られています。

 その先にある博物館でボランティアの方の説明を聞きながら鉄剣を見学しました。この鉄剣は金錯銘鉄剣と呼ばれ、115字の中には「ワカタケル大王」(雄略天皇)の名前が記されています。間近に見るととても興味深いものです。

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 来た道をたどり、再び、街道へ戻ります。先ほど右折した交差点の右斜め方向の道に入ります。

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 すぐの分岐は左へ進みます。

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 静かな旧道を歩きます。

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 旧道に入り5分で、再び県道77号と合流します。ここを右折します。

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 その先左手には、川端酒造があります。安政7年(1860年)の創業で「桝川」の醸造元です。

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 佐間地区を進みます。市街地に入りました。

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 歩道には埴輪を描いたブロック絵が埋め込まれています。

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 県道と合流して7分、日光千人同心街道との合流点である高源寺交差点に到着します。下の写真で、日光千人同心街道は左方面から左折して直進方向に進みます。今年の2月11日以来でこの地に立ちました。

 この先は、天明宿まで既に歩いているので、館林道歩きはここで終了です。この道を直進して、突き当りにある行田市駅へ向かいます。

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 高源寺交差点から17分で行田市駅に着きました。時刻は11:40です。今日は3時間10分の行程でした。12:06発の電車で帰路につきました。

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館林道 北鴻巣から行田市 その1へ戻ります。