2016年1月2日
境宿
電車で境町駅に8:49に到着しました。天気は日が差していますが曇が多いです。電車の中でもそうでしたが、とても寒いです。8:55に今日のスタート地点を目指して駅前通りを歩き始めます。
およそ5分で、本日のスタート地点である境町駅入口交差点に到着し、左折して日光例幣使街道に入ります。
すぐの左手にある群馬銀行の駐車場に、質素な高札場跡碑が立っています。
境宿を歩きます。このあたりには、旧家を散見することができます。
すぐの右手には板倉屋薬局のレトロで瀟洒な建物が建っています。昭和8年(1933年)の建築です。
さらに、右手には「ここより例幣使道境宿」と記された標柱が立っています。このあたりが境宿の日光側の入口がありました。
その先の右手、菓庵水戸屋の前に比較的新しい「日光例幣使街道かりやど宿」と記された石碑が立っています。かつて、境宿は間の宿だったそうです。
ここからは桝形になっていますが、複雑です。境東交差点の先の路地を右に入ります。
路地を進み突き当りを左折します。
その先の右手に東町の道標とその標柱が立っています。天明7年(1787年)に立てられました。この地が、例幣使街道と世良田道(館林方面)、江戸道(深谷方面)の交差する場所でした。
すぐに、通りに出るので左折します。
その突き当りで、先ほどの境東交差点の先に出ます。稲荷神社前交差点です。ここを左折します。
立ち寄りはしませんでしたが、正面の境稲荷神社には寛政年間(1789年から1801年)に建てられた芭蕉の句碑があります。
「時鳥 招や麦の むら尾花」
そして、次の路地を右折します。角には例幣使街道木崎宿方面の標柱が立っています。先ほど右折した路地のある十字路です。一周してきたことになります。
ここからは区画整理された地区を進みます。まずは、通り四本目のトーヨーケン弁当の先のT字路を右折します。
さらに、二本目の公園の脇を左折します。
三本目の関口珠算教室の先を右折します。
県道312号に突き当り、ここを左折します。
その先東武線の踏切を渡ります。
踏切を渡り、突き当りを右折します。さらに、二本目を左折します。
その先の三ツ木橋西交差点を右折します。
右折して5分、三ツ木橋で早川を渡ります。彼方に赤城山が見えます。
三ツ木橋の先で太田市に入り、すぐに、小角田西交差点で上武国道(国道17号)の下をくぐります。
上武国道の下をくぐってから畑の中を歩いて5分で小角田交差点に着きます。街道はこのまま直進するようですが、この先、石田川や国道354号に遮られてしまうので、ここを左折します。
ここまでの道も区画整理で失われてしまっていますが、どうやら、枡形から、境稲荷神社の脇を通ってここまで真っ直ぐ通じていたようです。
左折すると見渡す限りの田んぼで、ここでも、赤城山や榛名山、すでに雪を頂いた上越国境の山々や浅間山など上州の山々を全て望むことができます。
小角田交差点から3分で国道354号とのT字路に着き、右折して国道を歩きます。すぐの石田川を渡ります。
その先のT字路の交差点で左の県道69号に入ります。
すぐの交差点、新田中江田町交差点を右折して日光例幣使街道に戻ります。街道は、先ほどの小角田交差点を直進して、ここに出てきます。
また、交差点より北側へ通じる県道は、江戸時代に開かれた足尾銅山から利根川の平塚河岸へ通じる銅山(あかがね)街道と呼ばれていました。足尾で採掘された銅は平塚河岸から舟で江戸まで運ばれていました。新田中江田町交差点より南側の銅山街道は世良田町のあたりまで道筋が消えてしまっているようです。
来迎寺を通り過ぎて、彼方まで続く直線の道を歩きます。
木崎宿
途中、旧家も見つつ、来迎寺から12分の左手に医王院があります。二本の大きなイチョウの木が目を引きます。このあたりが木崎宿の入口でした。
木崎宿の街並みです。
左手に、山崎酒造があります。店の裏には煙突が見えます。明治8年(1875年)の創業で日本誉の蔵元です。