今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光例幣使街道(3)太田から佐野 その1

 

2016年2月6日

 

太田宿

 

 東武伊勢崎線に乗って太田駅に8:24に到着しました。天気は曇り。寒いことには変わりありませんが、前回ほどの寒さではありません。 

8:30より歩き始めます。北口から本日のスタート地点である太田駅入口交差点へ向かいます。

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 太田駅入口交差点は駅からすぐのところにあり、右折して日光例幣使街道を歩き始めます。

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 まず目につくのはスバルのマーク、富士重工の大きな工場があります。

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 右手にスバル最中の看板を架けた店があります。スバルの町ですね。

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 富士重工の正門の先、左手に追分地蔵と道標があります。この道標は「右 たてばやし こが道 左 日光道」と記されていて、例幣使街道と古河道との新島追分に立つものでしたが、追分は工場の敷地内にあります。

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 その先で、東武伊勢崎線の高架の下をくぐります。太田駅周辺の東武線は立体交差になっています。

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 日光例幣使街道はすぐの新島町交差点を左折しますが、直進してちょっと寄り道をします。

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 交差点から5分で右手に小高い丘が見えてきます。天神山古墳と呼ばれています。道路脇には大きな石碑が立っています。5世紀中ごろに作られたと言われ、墳丘の長さは210mと東日本では最大の前方後円墳だそうです。周囲には二重の濠(手前の平地)が廻らされていました。

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 新島町交差点に戻り、右折して街道を進みます。幹線道路なのか車がひっきりなしに走っていますが、歩道がありません。

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 新島町交差点から10分、小さな橋を渡った先に「日光例幣使道 馬洗い場跡」の石碑が立っています。この川で馬を洗ったのでしょうか。その謂れは分かりません。

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 その先すぐに国道122号を横断し、さらに、県道128号を横断します。

 県道を渡った左手角に石原賀茂神社があります。この神社には鳥居がありません。「鳥居のない神社」と記された石碑が立っています。

 江戸の昔、例幣使がこの神社で休憩していると、一匹の犬が激しく吠えまくり、何度叱っても吠え止みません。このため、お供の者が、この犬の首を刎ねたところ、犬の首が宙を飛んで鳥居に潜んでいた大蛇に噛みつきました。例幣使は犬の忠義を思い、手厚く葬るように指示しました。そして、大蛇の潜む危険性がある鳥居を外してしまったという謂れが残っています。

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 石原賀茂神社の脇を通り、6分で台之郷の辻に出ます。変形十字路になっています。街道は斜め右方向(横断する方向)へ進みます。

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 道路を横断した右角に「台之郷の辻」の石碑と道標が立っています。小さい道標は江戸時代のもので「東 福居佐野道  北 丸山桐生道」と記されています。

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 その先、3分で先ほど横断した県道128号に出ます。ここを左折して県道を歩きます。

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 直線の道を歩きます。

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 県道128号に入って12分、矢場交差点を左折します。

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 しばらく歩いた先、左手にプリントフジがある十字路を右折します。

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 住宅地を歩いてすぐにY字路に差しかかりますが、ここを右に入ります。

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 次の十字路の手前左角に「日光例幣使道 この先 桜山跡」碑が立っています。桜の山があったのでしょうか。その十字路の道路を渡った右角には旧例幣使街道碑が立っています。

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 十字路の先は工場団地の裏を通ります。

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 工場団地を過ぎると視界が開け、用水路の脇を進みます。このあたりが、現代の群馬県と栃木県の県境のようです。

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 その先左手には八坂神社があります。「村社八坂神社」と記された石柱の台座が道標になっています。

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 矢場交差点を左折して県道128号から分かれて20分、再び県道に出ます。ここ新宿町交差点を左折します。

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 その先、新宿橋で矢場川を渡ります。その隣に、かつて木製の道標がありましたが、文字が書かれている板がなくなり、支柱のみを残すだけになっています。先人たちのブログでは上野国下野国の国境を示すものがありました。

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 堀込地区を歩きます。さらに直線道が続きます。

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 堀込町南交差点を過ぎ、新宿町交差点から歩くこと18分で堀込町東交差点を横断します。八木宿ももうすぐです。

「ようこそ八木節のふるさとへ」という看板が出ています。八木節は明治の時代に、渡辺源太郎(堀込源太)が群馬や近郷の芸能をアレンジして作り上げました。例幣使街道の人の往来が八木節に繋がったようです。

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日光例幣使街道(3)太田から佐野 その2へ続きます。