今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光例幣使街道(4)佐野から栃木 その1

 

2016年12月29日

 

天明宿

 

 8:00ちょうどに東武佐野駅に到着しました。風はほとんどありませんが、かなり寒く、身に沁みます。気温は0℃くらいでしょうか。昨シーズンの冬から、およそ11ヶ月ぶりにこの地に立ちます。8:05に本日のスタート地点に向かって歩き始めます。

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 駅前通りを歩いて2分、本日のスタート地点、佐野駅入口交差点を左折して日光例幣使街道に入ります。カメラを持つ手がとても冷たいです。

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 朝の天明宿は車通りも少なく、とても静かです。

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 佐野駅入口交差点を左折して5分強で相生町交差点に到着し、ここをさらに左折します。

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 県道141号を北へ向かいます。その先でJR両毛線の踏切を渡ります。

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 さらに、東武佐野線の高架をくぐります。

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 久保町北バス停の先、久保町の外れで天明宿が終わりとなります。

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 街道を歩き始めて18分、内堀米交差点のT字路に突き当り、右折します。

 T字路の正面に見えるのは妙顕寺です。慶長7年(1602年)に佐野城が唐沢山から現在の佐野駅裏に移されたときに、鬼門の厄除けにこの地に移ってきました。

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 T字路を右折したすぐの左手には、八坂神社の鳥居がありますが、その両脇には常夜燈が立っています。

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 堀米町交差点で県道16号を横断すると、その先右手には台元寺があります。この寺には県の文化財に指定されている佐野百観音が祀られています。江戸時代には観音寺と呼ばれ、享保年間(1716〜1736年)に住職が発願して、佐野の天明鋳物師に坂東33観音、西国33観音、秩父34観音を作らせたと言われています。

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犬伏宿

 

 犬伏上町に入ります。このあたりから犬伏宿が始まります。この先も直線道路が続いています。

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 内堀米交差点から17分で、右手には犬伏小学校があります。犬伏小学校は本陣の跡地に建てられたものですが、それを示すものは何もありません。

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 小学校の先で犬伏町交差点を過ぎて、犬伏新町に入ります。

 犬伏宿の直線道路の先に小さな山が見えてきます。この山は米山古墳と呼ばれています。説明板には、自然の丘陵を利用したもので、北関東最大の前方後円墳と記されています。しかしながら、ただの丘陵であるという説もあります。

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 米山古墳の麓、直線道路の正面には薬師堂が建っています。ここは、真田親子が東軍西軍に分かれることを話し合った「犬伏の別れ」の舞台と言われています。

 徳川家康会津征伐の際に、家康の要請により、真田昌幸、信之、信繁親子は宇都宮城へ向かう途中のここ犬伏で石田三成の密書を受け取り、どちらに着くか協議を始めました。その結果、それぞれの姻戚関係から、昌幸と信繁親子は三成方に、信之は徳川方に袂を分けることになりました。どちらが勝っても、真田家が残るようにと言われていますが、これは徳川家康が信之をかなり信頼していたから成り立った話だそうです。

 今年のNHK大河ドラマ真田丸」で有名になった場所ではありますが、朝早いためか、観光客は誰もいません。

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 道は米山古墳の左側を弧を描くように回り込み、その先で東北自動車道の下をくぐります。

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 くぐったらすぐのところを左に入り、道なりに右へ曲がります。

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 小さな橋を渡り、しばらく歩くと、先ほど東北自動車道から分かれた道に合流します。

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 やがて、見晴らしの良い場所に出ます。正面には、万葉の昔から歌われている三毳山(みかも山)が見えてきます。

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 関川橋で三杉川を渡ります。

 左手には岩船山のギザついた山容が見えます。岩船山は江戸時代から続く、建築土台用石の採石場でした。しかしながら、コンクリートに押されて1960年台には衰退しました。先の東日本震災で山の一部が崩れて、現在の容姿になりました。

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 東北自動車道をくぐって10分強でJR両毛線の踏切を再び渡ります。

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 その先のT字路を左折して、県道67号に入ります。

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 やがて県道はS字を描きながら緩やかな坂を上ります。

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 坂の途中で栃木市に入ります。

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日光例幣使街道(4)佐野から栃木 その2へ続きます。