今へ続く日光例幣使街道を歩くと
例幣使は日光東照宮に幣帛を奉納するために遣わされた勅使で、正保3年(1646年)から幕末の慶応3年(1867年)までの221年間、毎年欠かさず続けられました。この例幣使一行が主に往路だけ利用した上州倉賀野宿から野州楡木の追分までを辿ってみました。
今へ続く日光例幣使街道は、北関東の主要都市を結ぶ道でもあり、昔の面影をあまり残していません。その中でも、玉村宿本陣跡に立つ有長歌碑、五料関所跡、石原加茂神社の忠犬の逸話、和歌の短冊が残されている(非公開)川崎天満宮など、例幣使一行の痕跡を知ることができました。
また、日光例幣使街道の旅は、主に冬晴れの日を選んで歩いたこともあり、上州や野州の山々を眺めながら楽しむことができました。特に、利根川に架かる五料橋からの赤城山、榛名山、遥かに望む浅間山や上越国境の山々の眺めは素晴らしいものでした。ちょっと風が冷たかったですが。
歩いた行程
日付 | 行程 | |
---|---|---|
2015-12-29 | ① | 倉賀野⇒境町 |
2016- 1- 2 | ② | 境町⇒太田 |
2016- 2- 6 | ③ | 太田⇒佐野 |
2016-12-29 | ④ | 佐野⇒栃木 |
2017-12-23 | ⑤ | 栃木⇒楡木 |
日光例幣使街道三景
右赤城です。日光を目指す旅人にとって、確かにここだけ赤城山が右手に見えます。昔の人はいつもの山々が違う方向に見える場所を愛でたようです。
栃木嘉右衛門町の町並みです。国の重要伝統的建物群保存地区に指定されていますが、なかなか趣のある町並みでした。
犬伏の別れの舞台となったと言われている薬師堂です。真田親子兄弟が豊臣方と徳川方に袂を分かつ決断の場所でした。ちょうど、NHKの大河ドラマ「真田丸」が放送され、タイムリーな場所でした。
日光例幣使街道の先の道
今回の日光例幣使街道歩きは楡木追分までですが、例幣使一行は追分から日光西街道に入り、今市追分へ向かいます。この地では、その先の日光西街道も例幣使街道と呼ぶことが多く、見事な杉並木も例幣使街道の杉並木と呼んでいます。
・日光西街道(喜沢追分~楡木追分~今市追分)
<日光例幣使街道 完歩>