2017年12月29日
喜沢追分
今日から日光西街道を喜沢追分から今市追分まで歩くことにします。宇都宮線に乗って、8:30に小山駅に到着しました。駅で簡単な朝食を済ませて、8:50分から歩き始めます。今日は天気が良いのですが、真冬の寒さです。駅前通りを西へ進むと日光街道との交差点、駅前上町交差点に出ます。日光街道を歩いてここを通過したのが、2014年2月だったので、およそ4年ぶりとなります。交差点を右折して、日光街道を歩き始めます。
日光街道に入って、「第一奥州街道踏切」を渡り、「日枝神社の大ケヤキの木」を眺めつつ、おおよそ35分で本日のスタート地点である喜沢追分に着きます。
下の写真の左手が日光西街道(壬生通)です。直進方行は日光街道です。
日光西街道と日光街道の分岐には馬頭観音や石碑が立っています。
追分を左斜めへ入るとすぐに国道4号に出ます。喜沢交差点です。ここを横断して喜沢地区に入ります。
すぐに両側がゴルフ場になります。松並木の名残なのか、立派な松が一本、道端に立っています。
その先は一里塚が残っています。西一里塚です。
西一里塚は、日本橋から日光街道を通して、21里目となります。左手、西塚脇には説明板が立っています。
道路の反対側にも東塚が残っています。
その先を進むと、左手のゴルフ場敷地の中に、桑57号古墳があります。ゴルフ場内に幾つか点在する古墳群の一つとのことです。ゴルフ場が管理していて、ゴルフ場のご厚意で、入り口から自由に入ることができます。ありがたいことです。
その先、日光西街道はすぐにゴルフ場を抜けます。
大日山美術館脇から、街道は緩やかに下ります。喜沢追分から30分で扶桑歩道橋交差点に出るので、ここを左折します。
交差点を左折すると、その先で姿川に架かる半田橋を渡ります。
姿川の向こうには、雪を頂いた日光の山々の見事な姿を眺めることができます。
すぐに、道は二手に分かれるので、右に入ります。
その先、右側は見渡す限りの田んぼが広がります。左手は思川の土手ですが、川の流れは見えません。
飯塚宿
左手には妙典寺があり、右手の小高い丘のあるあたりが飯塚宿の入口と言われています。
丘の上には七面堂があります。末法鎮守七面大明神と記された石碑が立っています。
飯塚宿の町並みは、残念ながら街道の雰囲気は感じられません。
右手に建つ旧家の向かいにある、空き地あたりが本陣のあった場所と言われています。
琵琶塚古墳、摩利支天塚古墳の標識があったので、右折して寄り道をします。
摩利支天塚古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに県内で最大の規模を誇る大形の前方後円墳で、後円部には後年になって摩利支天社が祀られています。出土した埴輪や古墳の形状から、この古墳の築造年代は、5世紀末から6世紀初頭と推定されています。
摩利支天塚古墳です。
琵琶塚古墳へは寄らないで、日光西街道に戻ります。
しばらく歩くと、街道の右手に琵琶塚古墳を望むことができます。これも栃木県内で最大規模の前方後円墳で二重の周濠があることが分かっています。周濠から出土した埴輪から6世紀前半のものと推定され、隣の摩利支天塚古墳に続いて築造されたものと考えられています。