2018年10月13日
壬生宿
8:30過ぎに壬生駅に到着しました。天気は曇りで、気温は15℃くらいです。本日は終日曇りですが雨は降らず、20℃位になる予報だったので、久しぶりに街道歩きにやってきました。半袖のシャツの上に薄手の長袖のシャツを羽織っただけだったので若干肌寒かったのですが、歩くにはちょうど良い気温です。8:40分に駅前広場を左折して本日のスタート地点に向かいます。
およそ5分で東武宇都宮線の踏切北にある本日のスタート地点の交差点に到着します。ここを右折して日光西街道に入ります。
すぐに、Y字路に差しかかるので、右へ進みます。左手には旧家の立派な門が見えます。
すぐに再びY字路に出ます。壬生駅入口交差点です。右の通りを見ると正面に先ほど出発した壬生駅が見えます。街道は左の道に入ります。
道は電線や電柱のないすっきりとした通りになっていて、蘭学通りと呼ばれています。壬生藩藩主鳥居忠挙がこの地に蘭学を導入して、多くの蘭学者を輩出しました。これにちなんで、蘭学通りと名付けられています。とりわけ、幕末から明治にかけて多くの蘭方医が開業していたそうです。
駅入口交差点からすぐの右手に松本内科医院があります。その駐車場の奥には旧松本脇本陣の立派な門が建っています。手前の通り奥には黒塀が続いています。
その先、左手にある自転車屋の手前の路地を入った突き当りに本陣があったようですが、今は新しい家並みに変わっています。
さらにその先、壬生町役場入口交差点を左折して壬生城址へ寄り道をします。
交差点を左折して5分ほどで狭間を模した白い塀が現れます。城址門も間近です。
その先で復元された二の丸門から城址公園に入ります。
建物は残っていませんが堀と土塁の一部が残っているそうです。本丸跡は噴水のある公園になっていて公民館や図書館が建っています。
橋の袂には榜示杭があり、「従是南 壬生領」と記されています。現在の都賀町家中に建てられていたものだそうです。
再び壬生町役場入口交差点に戻り左折します。すぐ先の左手には数件の店が入っている石崎家長屋門があります。
長屋門から5分強ほど歩きますが、思ったほど旧家は見られず、大師町南交差点に着きます。交差点を左折すると国道352号線になります。
国道352号線に入ったその先、右側に慈覚大師生誕地と書かれた看板があります。慈覚大師は円仁とも言い、第3代天台座主を務めました。壬生氏の出身と言われています。
右に入ると壬生寺があります。境内には、円仁の産湯の井戸が残っているそうです。ただし、円仁が生まれた場所は正確には分かっていません。
壬生寺の境内には樹齢350年の大イチョウの木が立っています。栃木県の天然記念物に指定されています。とにかく大きいです。
国道に戻って直進し、本丸一丁目交差点を横断します。
交差点を過ぎると道は大きく右へカーブします。このあたりが壬生宿の日光側の入口でした。
その先は民家が少なくなり、田園風景が広がります。そばの花でしょうか。
このあたりから、再び、ところどころ街道の名残りの大きな杉を見ることができます。
壬生宿を出てからおよそ20分、北関東自動車道をくぐります。
さらに上稲葉交差点を横断し、左側の水路を隔てた歩道を歩いていくと前方に一里塚が見えてきます。
稲葉の一里塚です。日本橋から数えて24里目の一里塚です。西塚が現存しています。
もうすぐでハロウィンですね。
一里塚から30分強で鹿沼市に入ります。
このあたりの田んぼは、稲刈りが終わっていません。
鹿沼市に入って12分、前方右手に小さな森が見えてきます。北赤塚一里塚も間近です。稲葉の一里塚を過ぎて約45分歩いてきましたが、その間ほとんど見るものもなく、ひたすら国道352号を歩いてきました。
左手の田んぼの中に古墳が見えます。判官塚古墳と呼ばれています。源義経が冠を埋めたという言い伝えがあり、冠塚とも呼ばれています。
右手の森は磐裂根裂(いわさくねさく)神社です。日光例幣使街道を歩いた時にも同名の磐裂根裂神社がありましたが、地図で確認するとこの近くにあるようです。