今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光西街道(2)壬生から新鹿沼 その2

 

2018年10月13日

 

北赤塚の一里塚

 

 北赤塚の一里塚は東西両塚が残っているように見えます。日本橋から数えて25里目の一里塚です。

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 西塚は歩道のために半分切り崩されています。標柱が立っています。

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 東塚はなんとなくあるように見えます。

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 西塚の脇の歩道を進みます。坂を少し上ると車道より高い道になります。左手の林は愛宕神社の境内です。

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 一里塚から歩いて7分ほどで、旧粟野街道入口に着きます。左手の道が粟野街道なのでしょうか。角には道標が立っていますが、何と書いているのかよくわかりません。

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 その先から杉並木が現れます。杉並木の間を車道が通り、並木の外に歩道があるため歩きやすいです。車が切れる間に車道へ降りて写真を撮ります。

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 旧粟野街道入り口から歩いて10分で南押原小学校に着きます。左手に伸びる道路との角に磯山神社の標識があります。磯山神社は左手に歩いた先にあり、アジサイが有名なようです。

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 南押原小学校、南押原中学校の脇を歩いていくと、遠くで車の走る音が聞こえてきます。東北自動車道も近くなりました。

 旧粟野街道入口から15分で、東北自動車道の下をくぐります。

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 コスモスの花が色鮮やかに咲いています。

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 並行して走る例幣使街道を歩いたときもそうでしたが、東北自動車道をくぐると楡木の追分もすぐです。

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楡木宿

 

 10分ほどで、楡木の追分である追分交差点に到着します。例幣使街道を歩いてこの地を通過してから10か月が経ちました。

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 このあたりに楡木宿の入口がありました。追分の分岐点には道標が立っています。「左 江戸道、右 中山道」と刻まれています。

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 楡木宿の街並みです。楡木宿ではあまり旧家を見ることはありません。

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 右手にある楡木郵便局の向かいに本陣があったと言われています。

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 どこまでが楡木宿なのかよく分かりませんが、国道をひたすら歩きます。

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奈佐原宿

 

 こちらもどこから奈佐原宿なのか分かりませんが、現在の奈佐原町に入るところが入口かもしれないので写真を一枚。

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 奈佐原北バス停の先、右手にあるガソリンスタンドの北側に奈佐原文楽用具収蔵庫の標柱が立っています。

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 路地を入るとすぐのところに大谷石で造られた収蔵庫があります。この辺りは江戸時代に宿場町として栄えましたが、奈佐原文楽は遊芸人の影響を受けて地元の同好者によって始められたと言われています。現在も同好者によって演じられているそうです。無形民俗文化財に指定されています。

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 この道は、国道293号(例幣使街道)と352号(日光西街道)が共用しています。現代でもこの道を例幣使街道と呼んでいますが、正式には日光西街道だとも言われています。しかし、どちらでも良いようです。

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 その先の和菓子屋の看板には「双体道祖神まんじゅう」。

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 樅山駅入口の交差点からすぐのところに、子供泣き相撲で有名な生子(いきこ)神社の入口があります。ここから線路を越えたさらに先にあるようです。

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 すぐの左手にクリーニング屋がありますが、先の路地の角に傘をかぶった道標があります。「いづる・・・」と書かれています。

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 右手奥には光明寺の山門が見えます。山門の彫刻が見事です。

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 その先の三叉路は大門宿交差点です。角には道標が立っています。

 大門宿バス停から赤いイチゴのイラストになります。鹿沼市は「いちご市」宣言をしています。

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 村井交差点を通過すると、右手には鳥居跡町自治会館があり、シャッターには彫刻屋台のイラストが描かれています。彫刻屋台は鹿沼の秋祭りに運行される屋台で緻密な彫刻が施されています。この建屋は屋台蔵も兼ねているようです。

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 そして、大門宿バス停から20分、本日のゴールである新鹿沼駅前交差点に到着します。楡木追分から1時間25分かかったことになります。意外と遠かったですね。

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 交差点を左折して新鹿沼駅に到着しました。時刻は12:50でした。今日は4時間10分の行程でした。13:04発新栃木行の電車に乗って帰路に着きました。

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