今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(1)日本橋~品川宿~蒲田 その2

 

2021年12月18日

 

高輪大木戸

 

 札ノ辻から700m歩くと、左手の大木戸跡に石垣が残っています。もともとの木戸は札ノ辻にありましたが、享保9年(1724年)にこの地に移されました。

 江戸の南の入り口を守る木戸でしたが、その幅は6間、約10mで明六つに開いて、暮六つに閉められました。しかし、江戸時代の終わりには木戸は廃止され、石垣だけが残るのみでした。

 近くに開設された高輪ゲートウェイ駅の駅名は、いろいろ物議を醸しだしましたが、この高輪大木戸と繋がりがあるそうです。

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 泉岳寺交差点を通過します。右手に進むと泉岳寺がありますが、立ち寄りませんでした。

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 高輪ゲートウェイ駅周辺は整備中で、工事の塀が連なっています。

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 そして、日本橋から歩いておおよそ2時間で品川駅前に到着しました。

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 品川駅を過ぎると人通りが少なくなります。京急線の線路脇を歩きます。

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 八ツ山交差点から左に入ります。すぐに京急線と並行してJRの線路の上を越えます。八ツ山橋です。橋の欄干には旧東海道と記されています。

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 八ツ山橋の右手の歩道を渡ります。

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 橋を渡った右手には大正2年(1913年)に架け替えられた八ツ山橋の親柱が保存されています。錆びかけていますが、立派なものです。八ツ山橋は日本初の跨線橋として明治5年(1872年)に架けられました。現在の橋は昭和60年(1985年)に架け替えられたものです。

 映画でゴジラが上陸した場所として有名です。

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 八ツ山橋を渡ったところは広場になっていて、品川宿まち歩きマップ案内板などが立っています。かつてはこの辺りに八ツ山一里塚があったようですが、場所は特定されていません。日本橋から数えて2里目の一里塚です。

 振り返ると高輪あたりの高台を望むことができます。

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 その先で京急線の踏切を渡ります。

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品川宿

 

 踏切を渡ると品川宿が始まります。国道の喧噪さとは打って変わって静かな通りになります。すぐの右手には北品川駅があります。

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 左手には問答河岸の石碑が立っています。かつて東海寺を訪れた徳川家光を沢庵和尚が船着き場まで迎えに来た時に問答を行った場所と言われています。

  家光「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」

  和尚「大軍を率いても将(少)軍と言うが如し」

 江戸の時代では坂を下った下の通りあたりが海岸線でした。

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 その先左手には土蔵相模の碑と説明板が立っています。この場所には飯売旅籠「相模屋」がありました。奥座敷が土蔵造りのため土蔵相模と呼ばれていました。井伊直弼を襲った水戸藩士たちや、英国公使館を焼き討ちにした高杉晋作伊藤俊輔(博文)ら長州藩士が利用していた宿でした。

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 さらに、その先を左へ下ると、かつての海岸線から品川浦を望むことができます。マンションやビル群に囲まれていますが、屋形船や釣り船が停留していて往時の港町を少しだけ思わせる風情です。

 船溜まりの右手にある北品川橋を渡るとかつてのお台場跡があります。幕末のペリー来航後に急ピッチで造られた砲台場の一つで、品川宿の西側にあった御殿山を切り崩して埋め立てたそうです。

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 街道に戻り、しばらく歩くと、左手には台場横丁の説明板が立っています。ここから海岸線に向かっても、その先のお台場跡へ行くことができます。

 時刻は正午近くだったので、街道沿いのそば処いってつで昼食兼休憩を取りました。「品川宿そば」を注文しました。あさりや海苔、天かすの乗った蕎麦をピリ辛のつけ汁でいただきます。生卵もついています。ピリ辛のつけ汁があさりとよく合いますね。

 30分ほど休憩したのち、街道歩きを再開します。すぐの左手の品海公園には品川宿の説明板と波から海岸を護るための石垣の説明板が立っています。

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 品川宿沿いは説明板などが充実していて、宿場町巡りを楽しませてくれます。

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 こちらは、下駄で有名な丸屋履物店です。大正時代の建物だそうです。

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 左手には一心寺の山門が建っています。成田山不動明王を祀ったお寺で、東海七福神の寿老人の寺となっています。

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 その先左手奥には公園があります。品川宿本陣跡で、明治天皇行在所にもなっていて聖蹟公園と呼ばれています。

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 公園の入り口には本陣跡の石碑と説明板が立っています。明治天皇がこの地を訪れたのは計3回で明治元年(1868年)に2回とその翌年のことで、第2回目は宿泊されたそうです。

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 東海道北品川交差点で国道357号を横断します。国道357号というと湾岸道路だったはずですが。

 さすが品川です。海苔を扱うお店が多いです。

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 品川橋で目黒川を渡ります。ここまでが北品川宿、ここから先が南品川宿と呼ばれ、江戸の当時は境橋とも呼ばれていました。「品川橋の今昔」という説明板が立っています。

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 橋を渡った左角に建つ城南信用金庫の敷地はかつての脇本陣のあった場所で、百足屋治兵衛が営んでいました。

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 これは雪吊りをした松でしょうか。この松は品川宿の街道松として、浜松宿の個人から品川区へ寄贈されたもので、樹齢約100年の黒松です。松が植えられている広場は街道松の広場と呼ばれています。品川宿では宿内にある空き地に東海道の各宿場町から松の木の寄贈を受けて、松をつなげていこうという事業を進めています。なかなか、良い考えですね。これからも増やしてもらいたいものです。

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