今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(2)蒲田~川崎宿~神奈川宿~東神奈川 その2

 

2021年12月25日

 

かわさき宿交流館

 

 東照の数軒先には東海道かわさき宿交流館があります。1階には万年屋を模した休憩スペースがあり、交流館のキャラクタ「六さん」が川崎宿の案内をしてくれます。

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 2階は川崎宿の紹介スペースで往時の宿場の街並みを再現した模型が飾られています。もう少し時間をかけて見学したいところでした。

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 交流館から街道に出ると、右手には川崎宿由来の説明板が架かっています。川崎宿の町並みは先の大戦で焼失してしまい、浮世絵や石造物のみが往時の川崎宿を偲ぶものとなりました。

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 街道から左へ入って寄り道をします。建築中の市役所本庁舎の脇を通ると、正面に稲毛神社の鳥居が現れます。稲毛神社の創建がいつなのかは不明とのことですが、武神を祀り、天皇軍の戦勝を祈願する神社とされていました。社伝には第12代景行天皇が賊難避けを祈願したと伝えられています。

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 鳥居を進むと正面に建つのは子の神社の社殿です。現在の社殿は明治3年(1870年)に建て替えられましたが、昭和32年(1957年)にこの地に遷座されました。明治3年当時は川崎宿が続いていたため、川崎宿時代唯一残っている建屋とされています。

 頑丈な金網で守られています。

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 かつての小土呂橋に使われた石(下の写真の5本の長方形の石)が残されています。この先の小土呂の新川堀に架かる東海道の小土呂橋に用いられていた石材です。寛保3年(1743年)に架け替えられたものです。

 残念ながら、初詣のために設置された看板で近くに寄ることができませんでした。

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 境内の国道寄りには、ご神木の大イチョウが立っています。樹齢1,000年以上と言われ、昭和20年の空襲で損傷を受け、上半分が伐採されましたが、補強されつつも、今も健在です。生命力があります。

 また、大イチョウの周りには十二支の神柱が立てられ、自分の干支から木の周りを一周回ってお参りすることができます。

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 そして、大鳥居を抜けると拝殿です。

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 稲毛神社脇の広場には旧六郷橋の親柱が保存されています。大正14年(1925年)から昭和59年(1984年)まで60年間使われた旧橋の親柱です。対岸の大田区の土手に保存されている親柱と対を成すものです。

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 東海道に戻ると右手には中の本陣跡碑があります。正式には惣兵衛本陣といい、田中本陣と佐藤本陣の間に位置し、「中の本陣」と呼ばれていました。中の本陣は江戸後期には廃業しました。

 また、街道の反対側には問屋場がありました。29名の問屋役人が昼夜交代で問屋場業務をこなしていたそうです。説明板が立っています。

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 駅前に通じる市役所通りを横断します。その先は「いさご(砂子)通り」と呼ばれています。

 角の川崎信用金庫本店ビルの正面ならびにいさご通り面のシャッター(11面)には歌川広重東海道の浮世絵が描かれています。「東海道川崎宿2023」の一環とのことです。

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 信金の前には大師道の説明板もあります。川崎大師は江戸から日帰りで行ける霊場として大変賑わいました。

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 右手には佐藤本陣(上の本陣)の説明板がビルの窓の内側に設置されています。佐藤本陣には14代将軍徳川家茂が上洛する際に宿泊しました。

 また、橘樹(たちばな)郡役所跡の説明板が立っています。明治に入り現在の川崎市横浜市鶴見区神奈川区付近は橘樹郡として制定されました。大正2年(1913年)には、ここ砂子に郡役所が建てられましたが、大正13年1924年)に川崎市制が制定され、その後、郡役所は廃止になりました。

 新川通りとの交差点、小土呂橋交差点を横断します。

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 通りを渡った歩道脇に小土呂橋の親柱が保存されています。かつてこの通りには、江戸の初めに開削された新川堀が流れていて、東海道には小土呂橋が架かっていました。当初は木橋でしたが、享保11年(1726年)に石橋に架け替えられました。その後、寛保2年(1742年)の洪水で流されてしまった後、再興され、この石橋は明治、大正と使われ続けました。昭和の初めに新川堀は橋ごと埋め立てられましたが、親柱は他へ移され、その後、この場所に戻ってきました。埋められていた石板は昭和60年(1985年)に発掘され、現在は先ほどの稲毛神社に保存されています。

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 その先には川崎宿の京側の入り口がありました。説明板があったようですが、ここも工事中でどこかへ移設されているようです。

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 川崎警察署付近を歩きます。商業地からマンション街に変わりました。

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 東海道京急線の脇に出るところに芭蕉句碑が立っています。

 「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」

 元禄7年(1694年)5月に江戸深川から故郷の伊賀へ帰る途中、八丁畷の茶屋で見送りに来た弟子たちと別れを惜しんで俳句を詠み合いました。芭蕉はこの半年後に大阪で病に罹り、亡くなりました。弟子たちとの本当の別れになってしまいました。

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 京急八丁畷駅の前を通ります。八丁畷とは長く続く直線道を表しています。川崎宿を出てから、市場村まで直線道路が続いています。

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 駅脇で京急線の線路を渡ります。

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 直線の街道を歩きます。かつては、杉や松、榎の並木でしたが、現代はかりん並木に変わっています。

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 市場上町交差点を通過します。ここから横浜市に入ります。

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 交差点を渡る手前の右に入ったところには「市場の夫婦(女夫)橋」の説明板が立っています。信号が赤でなかったらそのまま通り過ぎてしまいそうな場所にあります。

 この地には二ケ領用水の二つの流れにそれぞれ橋が架かっていて、夫婦橋と呼ばれていました。二ケ領用水は多摩川から取水して川崎領と稲毛領にまたがる農業用水です。難工事の末、慶長16年(1611年)に完成しました。

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 右手には熊野神社があります。徳川家康が江戸入府の際に天下泰平、国家安穏、武運長久を祈願したと言われています。

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 その先には、一里塚跡があります。南(東?)塚が現存し、塚の上には稲荷社が祀られています。市場の一里塚と呼ばれ、日本橋から数えて5里目の一里塚です。

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 鶴見川を越えます。大きなアーチを描いた鶴見川橋を通ります。

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 下流方面の眺めです。源流から39.7km、河口から2.8km地点です。

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 鶴見川を渡ると、左手には「鶴見橋関門旧跡碑があります。安政6年(1859年)に横浜港開港とともに横浜へ入る人を制限するために、神奈川奉行は、要所要所に関門や関所を設けました。鶴見関門は万延元年(1860年)に開設されています。文久2年(1862年)、生麦事件発生後は、川崎宿から神奈川宿の間に20か所も番所が設置されたそうです。

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 公園の脇には「馬上安全寺尾稲荷道」と記された道標が立っています。この地は寺尾稲荷へ向かう分岐にあたります。寺尾稲荷は馬術上達、馬上安全の神様です。

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東海道(3)蒲田~品川宿神奈川宿~東神奈川 その3へ続きます。

 

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