2019年4月6日
板橋宿
杉並木がなくなり、板橋地区に入ります。普通にある国道沿いの住宅街といった感じです。右手、大貫屋酒店あたりが大貫本陣跡です。
すぐに、板橋交差点に到着します。右手角の永楽屋には脇本陣がありました。
街道はその先のT字路を左に入ります。直進方向は新しいバイパスで、杉並木から外れた迂回路になっています。
街道はさらに右へカーブして再び杉並木の特別保護地域に入ります。
杉の巨木が立ち並ぶ並木道となります。すぐ先で車両通行止め区間に入ります。
ここからは歩行者専用の杉並木道となります。杉並木の保護のため、2年前の3月から、約1kmの区間が車両通行止めとなっているそうです。杉の枯れ枝などで、荒れているという情報もありましたが、全く問題なく、木漏れ日を浴びながら気持ちよく歩くことができます。すれ違う人もいません。
15分ほど歩くと、通行止め区間が終わってしまいます。その先は、杉並木の外側に歩道はなく、車道を歩くしかありません。早くこの先も、通行止めになると良いですね。しかし、バイパスができたおかげで、ほとんど車とはすれ違うことはありません。
車道を歩くこと17分で、地震坂に着きます。説明板によると、昭和24年(1949年)の大地震で地滑りが起こり、杉並木が移動してしまいました。本来の街道はこの上にあったそうです。
やがて、道は二手に分かれます。左手は日光方面への車線、右手は日光からの車線の片側通行になります。右側の道を進みます。道を下るとすぐに、先ほど分かれた車線と合流します。
緩やかに下った後、再び上り坂となり日光宇都宮道路の下をくぐります。この坂は十石坂と呼ばれています。黒田長政が東照宮に使う石材を運んでいた際、この坂に差しかかり大変苦労しました。参加した人足は米十石(約1500キロ)を食べてしまったことに由来します。
十石坂から下って5分で室瀬の一里塚があります。左手の西塚に標柱が立っています。江戸から28里目と記されていますが、実際は31里目ではないかと思います。東塚はよく分かりませんでした。
ここはどれも幹が太い杉が並んでいます。
小さな川を渡った先に右へ入るT字路がありますが、その角に道標が立っています。「左今市」とか「右當村を経て森友に至る」とか部分的に読むことができます。
そこから先は、杉並木の右脇の歩道を歩いたり、車道を歩いたり、左側を歩いたりしながら進みます。
段々、日光の山並みが近くなってきます。
やがて、JR日光線の線路に突き当るので線路沿いを左手に進みます。板橋の杉並木に入ってから、1時間10分かかりました。
すぐの踏切を渡ります。
街の中に入ってきましたが、その先の杉並木の外側には歩道がありません。仕方なく車道を歩くことにします。ここは街中なので、これまでとは異なり、結構、車の通りが多いです。このあたりに住んでいる人はこの道は歩かないのでしょうね。
角に旅館のある交差点から先は歩道が設けられています。
しばらく歩くと今市の追分に到着します。
角には追分地蔵尊があります。
追分で振り返ると左手には日光街道の杉並木が見えます。ここで、日光例幣使街道と日光西街道(壬生通り)の完歩です。日光例幣使街道としては、倉賀野宿を出発して足掛け3年と4ヶ月掛かったことになります。また、日光街道を歩いてこの地を通過したのが2014年4月なので、5年ぶりとなります。
日光街道に入って、すぐの小倉町交差点を右折して、東武日光線下今市駅に向かいます。
下今市駅についたのは12:15、3時間ちょうどの行程でした。下今市駅発12:44の電車に乗って帰路に着きました。