今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

今へ続く日光西街道を歩くと

 

今へ続く日光西街道を歩くと

 

 現代の日光西街道壬生通り)を喜沢の追分から今市の追分まで辿りました。途中の楡木の追分から今市までは日光例幣使街道との相乗り区間となっていて、特に、今市までの杉並木は例幣使街道の杉並木として一般に知られていますが、このブログでは日光西街道に統一しました。

 日光西街道日光街道脇往還という位置づけになっています。しかし、将軍家の日光社参の帰り道はこの街道を通ることがありました。また、日光街道と比べると日光西街道の方が2里ほど距離が短く、日光を目指す旅人の多くは日光西街道を選んだと言われています。このため、主要な幹道だったと思います。

 この街道では、杉並木以外は往時の雰囲気はあまり残っていませんが、様々な神社仏閣に加え、下野国分寺跡、古墳群、壬生城跡、鹿沼の彫刻屋台等見どころが多くありました。そして、比較的多くの一里塚が現存していました。

 

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歩いた行程

 

日付   行程
2017-12-29 小山⇒壬生
2018-10-13 壬生⇒新鹿沼
2018-11-24 新鹿沼⇒文挟
2019- 4- 6 文挟⇒下今市

 

 

日光西街道三景

 

 多くの一里塚が現存していました。喜沢から入ってすぐの西(日本橋から21里目)、そしてそこから続く飯塚(22里目)、壬生(23里目)、稲葉(24里目)、北赤塚(25里目)と5か所連続で残っています。その先、少し間が空いて、小倉(29里目)、板橋(30里目)、日光西街道最後の室瀬(31里目)までが現存しています。

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 街道を歩くと日光の山々を何度となく眺めることができました。

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 杉並木です。特に板橋から先の杉並木は見事でした。室瀬までは車道を歩くしかありませんが、板橋交差点からバイパスが出来ているので並木道を通る車は少なく、さらに、一部の区間は車両の乗り入れもできないようになっていました。このため、思ったほど歩き辛いということはなく、杉並木を堪能することができました。

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日光西街道 完歩>