今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(3)東神奈川~神奈川宿~保土谷宿~戸塚 その3

 

2022年4月2日

 

浅間町

 

 環状1号を歩くと、新横浜通りとの交差点、浅間下交差点に着きます。歩道橋で新横浜通りを横断します。交通量の多い交差点です。

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 歩道橋を渡った角は公園になっています。公園の中を横切って、右手に繋がっている旧道に入ります。

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 これまで、ビルやマンションの間を歩いてきましたが、静かな街道歩きに変わります。

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 すぐの右手には浅間神社の鳥居が立っています。神社は背後の丘の上にあります。

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 見晴らし公園への分岐に西区で作製している赤い案内標柱が立っています。ここ旧芝生(しぼう)村は明治に入った頃から多くの職人が移り住んできて、横浜の発展に寄与したと記されています。当時の写真もいくつか掲示されています。

 赤い標柱の地図に表示されている蔵がその先の左手に建っています。お洒落な意匠の外壁になっています。

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 赤い標柱から10分ほど歩くと道の分岐の角に芝生の追分の標柱が立っています。ここはかつての八王子道(下の写真の正面方向)との分岐になっていて、町田を経由して八王子まで繋がっていました。横浜開港以降は八王子から絹が運ばれ、絹の道とも呼ばれていました。

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 その先で、松原商店街のゲートをくぐります。催し物があり、かなりの人が集まっていて、活気のある商店街です。

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保土谷宿

 

 国道16号を横断して、さらに商店街を進むと、保土谷宿の江戸方の見附跡があったようですが、見逃してしまいました。

 その先、右手には橘樹神社があります。橘樹神社は文治2年(1186年)に京都八坂神社から勧請して設立されました。かつては牛頭天王社と呼ばれていましたが、大正10年(1921年)に現在の名前に変更されました。

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 帷子川を帷子橋で渡ります。

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 下流方面を見ると遠くにランドマークタワーが見えます。さすが、ランドマーク。

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 相鉄線天王町駅に着きます。

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 高架の駅の下をくぐります。

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 駅前広場の先、通りを越えると公園があります。旧帷子橋跡のモニュメントがあります。かつての帷子川はこの下を流れていました。広重の東海道53次保土谷宿の浮世絵にも帷子橋が描かれています。

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 公園の一角には保土谷宿碑も立っています。

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 再び、環状1号を歩きます。

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 公園から7分ほど歩くと、右手には香象院があります。高野山真言宗の寺です。門前の両側には大きな釜が鎮座しています。境内に入ると像がいます。

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 その先で道は二又に分かれます。右が東海道。左はJR保土ヶ谷駅前に出ます。昼食を取るために左の道へ入ります。

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 保土ヶ谷前に出ました。駅前ロータリーを通り過ぎて、その先の路地に向かいます。

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 宿場そばの桑名屋さんで昼食を取ります。お店は古民家の造りで、なかなかいい雰囲気です。天せいろと追加で桜そば(半人前)を頂きましました。桜の花や葉の塩漬けが練りこまれていて春の味覚でした。桜そばをゆでたそば湯でしめます。

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 何だかんだ1時間ほど昼食兼休憩を行い、再び、二股に戻り、東海道に入ります。

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 旧道を進みます。

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 右手には助郷会所跡の標柱が立っています。近郊の助郷村の人馬を手配するために設けられました。

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 左手には問屋場跡の説明板が立っています。合わせて、助郷や高札場の解説も記されています。

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 その先の右手には高札場跡の標柱が立っています。

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 さらにその先、コンビニの脇から左へ入る道は金沢・浦賀往還であり、金沢横丁と呼ばれていました。

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 角のマンションの1階にある「程ヶ谷宿お休み処」の前に道標が4本立っています。説明板によると、右から「円海山之道」「かなさわ かまくら道」「杉田道」「富岡山芋大明神社の道」と刻まれているようです。3番目の道標は句碑も兼ねています。

  程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪(きそう)

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 すぐのところで、JR東海道本線の踏切を渡ります。

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 踏切を渡ると国道1号とのT字路に出ます。保土ヶ谷1丁目本陣跡前交差点です。道路の反対側に本陣門が見えます。

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 国道1号を横断する前に、右手へ歩くと、大金子屋脇本陣跡の碑が立っています。

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 保土ヶ谷1丁目本陣跡前交差点に戻り、横断歩道を渡った正面が苅部家本陣跡です。柵の内側に本陣門が残っています。苅部家は問屋・名主も務めていました。

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 門の左手、歩道際には程ヶ谷宿本陣跡と記された石碑も立っています。

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 国道1号を西へ向かって歩き始めます。次にあるのは藤屋脇本陣跡の碑です。

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 その次は、水屋脇本陣跡です。

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