今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

甲州街道(11)韮崎から台ケ原 その1

 

2022年4月23日

 

韮崎宿

 

 4か月ぶりに甲州街道歩きを再開します。山梨県中北地域が暖かくなってからと思っていたのですが、なんと今日は28℃まで上がる予報で、すでに初夏を過ぎたた気候です。

 9:40くらいにあずさで韮崎に到着しました。天気は晴れ。20℃はあるかもしれませんが、湿度が低いせいか気持ちの良い朝です。9:50に歩き始めます。

 

 駅前から歩道を左へ歩き、線路の下をくぐります。

 

 中央本線のガードをくぐって県道27号に入り、南へ向かいます。この道はかつての佐久甲州往還で、この先の本町交差点から反対側では南牧平沢峠を越えて、中山道岩村田宿へ続いています。韮崎は物資の集まる交通の要所でした。

 

 甲州街道と佐久甲州往還との追分、本町交差点に到着します。右折して甲州街道歩きを始めます。

 

 街路樹のハナミズキは満開です。初夏の風景ですね。遥か鳳凰三山の頂にはまだ雪が残っています。

 

 右手の七里岩の上には平和観音が見えます。七里岩の先端に立っています。

 

 右に上る坂は青坂と呼ばれ、七里岩の上を通る道で、かつては甲州街道の迂回路としても使われました。武田勝頼の築いた新府城もこの街道沿いにあります。

 

 一つ谷交差点で国道20号に入ります。

 

 右手には十六石の説明板が立っています。武田信玄が晴信と名乗っていたころ、釜無川の治水のために、堤防を作った大石のことを指します。説明板の少し先、水路脇にある大石がそうなのでしょうか?

 

 一つ谷交差点から歩くこと10分強で甲州街道は右の道に入ります。

 

 下祖母石地区に入ります。街道は真っ直ぐ伸びています。

 

 七里岩の絶壁も続いています。

 七里岩は、約20万年前に八ヶ岳の岩屑なだれが発生し、これによりでできた平坦地を西側の釜無川と東側の塩川が長年にわたり浸食した浸食崖です。長さが7里(30km)にわたるためその様に名づけられました。

 ちなみに、上から見ると七里岩を形成する台地はニラの葉のように見えることから韮崎の市名になったそうです。ニラの葉の先端が韮崎駅付近にあたります。

 

 鳳凰三山も間近に見えます。

 

 下祖母石の町並みです。この辺りもなまこ壁の蔵をよく見かけます。なかなか趣があります。

 

 祖母石、西岩下地区の鎮守、神明宮があります。この地では釜無川の水害に悩まされ、九頭竜神が祀られています。

 

 国道20号と合流する手前には5つの石塔が並んでいます。昭和34年(1959年)の水害後に復元されたものです。九頭竜大神、道祖神等があります。

 

 すぐのところで国道20号と合流します。

 

 ここで、釜無川の対岸に渡るために、少しだけ国道を韮崎方面へ戻ります。

 

 桐沢橋東詰交差点を右折して釜無川を渡ります。

 

 桐沢橋です。

 

 釜無川下流方面の先に、薄っすらと富士山が見えます。だいぶ、雪が少なくなりました。

 

 橋を渡り切り、突き当りを右へ曲がります。

 この辺りは清哲町と呼ばれ、案内板が立っています。この「清哲」という地名は、かつて、水上村「さんずい」、青木村の「青」、折居村の「折」、樋口村の「口」を合成して、「清哲」村に合併されたことにちなみます。よく考えましたね。

 

 旧射撃場の前を道なりに左へカーブすると、道は二又に分かれ、街道は右の道へ入ります。

 

 やがて、県道12号に出るので、右折して県道に入ります。

 

 すぐに、小桐橋で桐沢川を渡ります。桐沢川はこの先で釜無川に流れ込みます。

 

 橋を渡ると県道から別れて左の道へ入ります。

 

 双体道祖神が祀られています。この辺りになると丸石道祖神があまり見られなくなってきます。

 

 道祖神の先を左へ入ります。

 

 道なりに右へ進みます。

 

 やがて街道は徳島堰の脇に出ます。すぐに雨宮寺の前を通ります。

 

 さらに、徳島堰の脇を歩きます。水を満々にたたえて流れています。

 徳島堰は、上円井から甲府盆地鰍沢河岸まで(実際は南アルプス市飯野新田で堰尻川と合流するまで)の17kmにわたる水路です。江戸深川の徳嶋兵左衛門が、新田開発や舟運の目的で、寛文5年(1665年)に私財を投じて水路切削を開始しました。結局、舟運には使われませんでしたが、徳島堰のおかげでこの地域は発展することができました。

 

 

甲州街道(11)韮崎から台ケ原 その2へ続きます。

 

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