今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(6)二宮~小田原宿~入生田 その1

 

2022年5月6日

 

二宮

 

 8時くらいに二宮駅に到着しました。天気は高層に薄雲が架かっていますが、日差しは差し込んでいます。今日は20℃を越える予報ですが、前回に引き続き海沿いの歩きなので多少の暑さは凌げるのではないでしょうか。8:10から歩き始めます。

 

 二宮駅入口交差点を右折して東海道に入ります。今日は箱根の山の入り口を目指します。

 

 名残の松でしょうか。ひときわ大きくそびえて立っています。

 

 吾妻神社入口の信号の手前を右に入ります。分岐の角には「旧東海道の名残り」という標柱が立っています。

 吾妻神社は右手、線路を越えた高台の上にあるようです。

 

 旧道に入ってから一旦坂を下り、その先で上り坂に変わります。

 

 等覚院の前を通過します。

 

 坂を上り切った先の山西交差点で再び国道1号と合流します。角には道祖神などが祀られています。

 

 5分ほど歩くと東海道は左の旧道に入ります。分岐の角には同じように「旧東海道の名残り」標柱が立っています。

 

 分岐には一里塚跡があります。押切坂の一里塚です。往時は、北塚にケヤキが、南塚にエノキが植えられていました。日本橋から数えて18里目の一里塚です。

 

 しばし、旧道を歩きます。

 

 左手、民家の敷地に松屋本陣跡の碑が立っています。大磯宿と小田原宿の間は4里と遠く、二宮に間の宿が設けられました。特にこの付近には茶屋が並び「梅沢の立場」と呼ばれ、「松屋」という茶屋本陣がありました。

 

 その先で、急坂を下ります。押切坂と呼ばれています。

 

 坂の途中には双体道祖神が祀られています。

 

 坂の下で国道と再び合流します。

 

 押切橋で中村川を渡ります。

 

 河口まですぐです。

 

 押切橋を渡ると小田原市に入りますが、この辺りの市境線は複雑で、この後、もう一度二宮町に入って、さらに小田原市に入るを繰り返します。

 

 その先、右手奥には浅間神社があります。

 

 東前川信号あたりで、街道から相模湾が見えるようになります。

 

 あまり傾斜を感じさせませんが、車坂の碑が右手に立っています。

 

 車坂を詠った太田道灌源実朝、北林禅尼(阿仏尼)の和歌が挙げられています。

  鳴神の 声もしきりに 車坂 とどろかしふる ゆふ立の空  太田道灌

  浜辺なる 前川瀬を 逝く水の 早くも今日の 暮れにけるかも  源実朝

  浦路いく こころぼそさを 浪間より 出でて知らする 有明の月  北林禅尼(阿仏尼)

 

 車坂碑の先には大山道道標が立っています。「従是大山道」と記された道標の上に不動明王様が鎮座しています。東海道から右へ入る道が大山への羽根尾道となっています。道標、秋葉山常夜燈、道祖神が一列に並んでいます。

 

 中宿公民館の入り口にはかなり風化した双体道祖神が祀られています。

 

 西前川交差点付近まで来ると、再び相模湾と遠く箱根の山々が見えてきます。

 

 やがて、上り坂に差し掛かります。

 

 国府津地区に入ります。

 

 森戸川を越えると、その先には小八幡の一里塚の説明板が立っています。塚木はこの地にふさわしい松の木でした。日本橋から数えて19里目の一里塚です。

 

 松並木の名残が見られます。

 

 右手にある旧川辺本陣跡の前を通ります。立派な門が立っていますが、私有地になっているようです。この辺りは鎌倉時代に酒匂宿が置かれていました。

 

 連歌橋交差点を通過します。酒匂川も近くです。昼食時間までまだまだですが、腹が減ってきたので、デニーズで休憩しました。

 

 酒匂川に架かる酒匂橋手前に出ます。土手道を右へ入って渡し場跡付近に立ってみました。碑が立っているようでしたが見当たりません。

 往時の渡しは、夏場は人足による徒渉り、冬場は仮橋を架けて渡りました。

 

 酒匂橋を渡ります。

 

 富士山の頭が少しだけ見えます。

 

 

東海道(6)二宮~小田原宿~入生田 その2へ続きます。