今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

甲州街道(12)台ケ原から富士見 その3

 

2022年6月4日

 

国界橋

 

 田んぼの中の一本道の先で国道20号に突き当たります。甲州街道は国道を横断して先にある国界橋を目指します。甲斐国信濃国の国境に架かる橋です。

 

 国道20号は右手の新国界橋で釜無川を渡り、長野県に入ります。橋の袂には富士川の表記もあります。

 

 国道20号を横断するとしばらく砂利道が続きます。

 

 砂利道も、やがて、草道に変わります。あまり、人が通っている気配がないので、夏は草ぼうぼうになっていることでしょう。


 その先で、釜無川に架かる国界橋が見えてきます。

 

 道なりに右へカーブして国界橋を渡ります。

 

 上流の眺めです。下流方面には、先ほど手前を横切った国道20号の新国界橋が見えます。写真を撮りましたが、見事にボケていました。

 

 橋を渡ると、信濃国に入ります。関野宿の先から甲斐国に入って、延べ7日かけて信濃国へ到達したことになります。

 ここには、戦国時代の口留番所よりもさらに厳しい、電流柵が行く手を阻んでいます。サルやシカなどの害獣よけのようです。

 

 よく見ると柵の上部に碍子を介した高電流電線が5、6本横たわっているので、柵自体は大丈夫そうでしたが、ここは用心深く、観音開きの扉を固定しているフックだけ触って外しました。

 

 そして、無事に現代の関所を通過しました。扉もちゃんと閉めておきました。

 まあ、扉の開け閉めでいちいち感電していたら世間的に大変な話になるので、そんなに緊張することもなかったとは思いますが。

 

 その先、すぐのところで国道20号の交差点に出るので、左折して国道に入ります。下蔦木交差点です。

 

 しばらく国道を歩くと、甲州街道は右の坂道を上ります。

 しかし、時刻は正午近くになっていたので、国道を直進して「道の駅蔦木宿」へ寄ることにしました。

 

 分岐から5分弱で道の駅に到着します。ここには温泉施設もあります。

 一角に「めどでこ」が飾ってあります。めどでことは諏訪大社御柱祭御柱を引き回す際に御柱にV字に差し込む木の柱を言います。氏子がこれに鈴なりにつかまって気勢をあげるそうです。その様子を示す写真が脇に掛けてあります。

 

 30分ほどで、街道に戻り、坂道を上ります。堂坂と呼ばれています。

 

 分岐からすぐの坂の途中には日蓮上人高座石があります。

 

 奥へ進むと石の柵に囲まれた高座石があります。石の上には日蓮上人の座像が祀られています。街道からの入り口脇に立つ説明板によると、この地を訪れた日蓮上人が、悪疫に難渋していた村人を見て、この石の上で三日三晩、祈祷を行ったところ、その霊験を表したと言われています。富士見町の史跡に指定されています。

 

 高座石入口の先には石仏や石塔が並んでいます。

 

 道の反対側には三つ辻柳の由来書が立っています。下蔦木小唄の一節に、

 「川路くだりょか 逸見路にしよか いっそ蔦屋に泊まろうか ここが思案の三つ辻  柳・・・」

と歌われているしだれ柳の大木が、かつて、この地に立っていました。人々にたいそう親しまれていたようです。

 

 下蔦木の急坂を上ります。

 

 途中の道端には馬頭観世音が祀られています。左手には逸見路(へみみち)追分道標がコンクリートブロックで造られた祠に大切にしまわれています。その後ろには説明板が立っています。

 

 道標は上の部分が欠けてしまっていますが、「はらぢみち にらさきまでむしゅく」と記されていたと想定されています。はらぢみちは、台ケ原の入り口にあった標石にも同じように記されていましたが、釜無川が氾濫した時に、う回路として、韮崎まで七里岩の上を通る古道です。逸見路は諏訪と韮崎を結ぶ、のちの甲州街道にあたる道筋を言います。

 

 下蔦木集落センターの前には標高731mの標識が立っています。スタート地点の白須あたりは標高600mくらいだったので、多少上ってきました。

 

 その先の真福寺の前で、道は二又に分かれるので、左の道に入ります。

 

 左へ入ると、真福寺の前に出ます。鐘楼を載せた立派な山門が立っています。

 日蓮の高座石の話には続きがあって、日蓮の高徳に感応した真福寺の住職は浄土宗から日蓮宗に改宗したそうです。

 

 真福寺脇の木々の茂る道を進みます。道脇の崖下からは小川のせせらぎが聞こえ、とても涼やかな歩きです。

 すぐに、視界が開け、道は二股に分かれるので、左の道に入ります。

 

 空は広く、長閑で気持ちの良い街道歩きです。

 

 眼下にはこれから訪れる蔦木宿の町並みが見えてきます。山間の宿場町です。

 

 木陰に石仏石塔が集まっています。まるで今日の強い日差しから避難しているようにも見えます。一番手前の中央に「富士見町指定史跡 応安の古碑」と記されたやや大きめの石碑が立っていますが、これは明らかに新しいもので、後ろにあるどれかが応安の古碑だと思われます。それがどれなのかまで分かりません。応安といえば南北朝時代、1368年から1375年を指します。

 

 その先で、国道20号脇の高台の道に突き当たります。T字路の左手には庚申塔がいくつか並んでいます。

 

 突き当りを右折して、フェンス脇の坂を下っていきます。下る先には蔦木宿の町並みが見えてきます。蔦木宿ももう少しです。

 

 

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