今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

甲州街道(12)台ケ原から富士見 その4

 

2022年6月4日

 

蔦木宿

 

 国道を下に見ながら急な坂道を下っていき、家並みに入ったところで甲州街道蔦木宿の標識が立っています。

 

 蔦木宿の標識の先には道祖伸が祀られています。宿場町の入り口を守っています。

 

 南の桝形を通り、国道20号を右折して宿場内に入ります。蔦木宿も国道沿いにある宿場町です。

 

 桝形に入る右手には桝形道路の石碑が立っています。平成3年の道路改良工事で桝形を移動したと記されています。

 

 宿場内に入ってすぐの右手には三光寺への参道入口があります。

 

 参道を進み、鬱蒼とした木々に覆われた階段を上っていきます。

 

 三光寺は応永24年(1417年)に武田重信によって開かれました。本堂の彫刻が見事です。言われないと気付きませんが、屋根の上には武田菱の家紋が飾られています。

 

 街道に戻り、さらに、右手には十五社があります。街道脇の鳥居をくぐると、広場の先の一段上に鎮座しています。拝殿の両脇には御柱が立っています。軒下には、「めどでこ」が奉納されています。

 

 再び街道に戻り、上蔦木交差点を通過します。右へ入ると中央本線信濃境駅へ通じています。

 

 交差点の角には本陣門が残っています。本陣大阪屋の表札が掛けられています。この門は、江戸末期元治元年(1864年)の大火の後に建てられたものと推定されています。明治に入り他家へ移築されていましたが、平成4年(1992年)に本陣跡地であるこの地で復元されました。

 

 本陣門の脇には明治大帝御駐輦址の石碑も立っています。

 

 蔦木宿の町並みです。蔦木宿は慶長20年(1615年)に計画的に作られた宿場町です。その面影である直線道が続きます。

 

 明治天皇御前水跡です。七里岩からの湧水が湧いていました。説明板によると、この石は、明治39年1906年)頃に街道筋に整備された飲料水施設に用いられたもので、昭和26、27年頃まで使われていたそうです。

 

 傍らには与謝野晶子の歌碑もあります。

 白じらと並木のもとの石の樋が 秋の水吐く蔦木宿かな

 本陣の家族と親交のあった与謝野晶子は度々ここ蔦木宿を訪れていました。

 

 どこか宿場町の面影を残しています。

 

 家々には往時の屋号を掲げています。

 

 やがて、北の桝形道に差し掛かります。まずは左へ入ります。

 

角には桝形道址の石碑が立っています。

 

 桝形を右折します。

 

 ここにも石塔が祀られています。

 

 このあたりには大木が生い茂っています。すぐ近くに川除(かわよけ)古木の説明板が立っています。これらの古木は、信玄堤とともに釜無川の氾濫から蔦木宿を守るために植えられた川除木です。実際に、明治31年(1898年)の洪水の際に、木を切り倒し、蔦木宿への大水の侵入を防いだそうです。現存しているのはキササゲ1株、サイカチ2株、ケヤキ1株(平成16年当時)と記されています。富士見町の天然記念物に指定されています。

 

 道なりに進むと再び国道20号へ出ますが、甲州街道はその手前の脇道に入ります。

 

 国道と並行する農道を進みます。感じのいい街道歩きです。

 

 長閑な田園風景が広がります。

 

 その先で国道と合流します。

 

 

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