2022年10月2日
塚平
秋の街道歩きが始まります。今日も朝一番のあずさに乗りこみ、途中小淵沢で乗り換えて、9時過ぎに富士見駅に到着しました。ここのところ、休日は台風や雨に降られていましたが、久々の快晴です。気温は17~18℃くらいでしょうか、とても気持ちの良い朝です。駅舎の向こうには八ヶ岳がくっきり見えています。
9:20に本日のスタート地点である塚平のT字路に向けて歩き始めます。
駅から富士見交差点を通過して、坂道を上ること15分で、塚平のT字路に到着します。左手が前回歩いてきた甲州街道になります。4か月ぶりにこの地に立ちます。
かつての甲州街道は左手から右手へ直進していましたが、現在は、メガソーラー発電所に遮られているので、ここを左折して(写真の直進方向)迂回します。
ここ富士見高原では季節が秋に変わりつつあります。ススキの穂が出はじめています。
すぐにメガソーラーの敷地の角に出るので、右折して回り込みます。角には甲州街道コースと記された標識が立っています。
さらにフェンス脇を進みます。左手前方には入笠山の斜面に広がる富士パノラマリゾートのスキー場を望むことができます。
砂利道に変わります。
太陽光パネルが並んでいるところを写真に収めようと思いましたが、上手くいきませんでしたね。
フェンスを半周回り込み、遮断された街道の先にあたる道の脇には御柱が安置されています。諏訪地方では小宮の御柱祭が行われる季節です。祭りの準備が進められています。
T字路を左折して甲州街道に戻ります。
原の茶屋地区に入ります。
しばらく歩くと、右手の少し奥まったところに富士見公園の小さな丘が見えます。案内板が目に留まらないと、そのまま通り過ぎてしまいそうなほどひっそりとしたたたずまいです。
説明板によると、富士見公園は、明治44年(1909年)にアララギ派の歌人伊藤左千夫が設計監修してできたそうです。
アララギ派の同人たちが富士見に集って歌会を開いた際に、伊藤左千夫がここ原の茶屋の小丘に立ち「ここは自然の大公園だ。自然を損なわぬように公園を作りたい」洩らしたと言われています。
丘のスロープを上る脇には芭蕉の句碑も立っています。
眼にかゝる時や殊更(ことさら)五月不二
この句は芭蕉が箱根越えの際に詠んだものですが、この地の富士の眺めを重ね合わせてこの句を選んだのでしょうか。そもそも、実際に富士は見えるのでしょうか?
丘の上は平坦で木々が茂っています。木陰があり、涼しく気持ちの良いところです。
伊藤左千夫、斎藤茂吉、島木赤彦たちの歌碑も立っています。漢字で綴られています。
伊藤左千夫の歌碑の前には標高965mの標識が立っています。
街道に戻りすぐのところで、広めの通りを横断します。右へ進むと国道20号の富士見峠交差点へ出ます。
さらにすぐの右手、公民館の前には明治天皇駐輦之処の碑が立っています。
その先には明治天皇御前水の碑も立っています。碑の前は水場になっています。
ちょうど、碑の前で、地元の方々が祭りの準備をするために集まっていました。邪魔しないように写真を撮らせてもらいました。
御前水のはす向かいには旅館、旧桔梗屋があります。明治から大正にかけてアララギ派の歌人が集っていました。屋根をよく見ると、中山道塩尻あたりで良く見かけた本棟飾りの雀おどりがありました。そろそろ甲州街道も終わりに近づいたということでしょうか。
桔梗屋のはす向かいには、大きな切妻屋根の本棟造りのお宅が建ち、その前には金毘羅神社参道に建つ常夜燈が鎮座しています。
何やら句碑のような灯籠が。
家並みのはずれには百番供養塔、庚申塔、双体道祖神などが並んで立っています。双体道祖神は少し新しいものです。
原の茶屋の家並みを抜けると道は二手に分かれますが、街道は直進します。
すぐの道路左手にある林の中に、旧道跡があると言われています。
やがて開けた場所に出ます。右手の高台にはカゴメの工場があり、左手はトマト栽培のハウスでしょうか。広々とした敷地に広がっています。
この辺りの田んぼではすでに稲刈りが済んでいます。
カゴメの工場脇を抜けると神戸地区に入ります。
道路脇には朝顔らしき青い花が一面に咲いています。道端のサルビアの赤い花と良いコントラストを出しています。
脇には新聞の切り抜きがボードに貼られています。2週間ほど前の新聞記事で御射山神戸の新名所になっているようです。青い花は西洋朝顔のヘブンリーブル―という名前の種類とのこと。