今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

甲州街道(14)茅野から下諏訪 その3

 

2022年10月15日

 

下桑原の一里塚

 

 1時間ほど昼食を取った後、甲州街道に戻りすぐの左手には一里塚跡碑と52里塚の説明板が立っています。下桑原の一里塚で、日本橋から数えて52里目の一里塚です。

 

 街道が大きくS字にカーブするところ、温泉寺に入る道の脇に大きなお地蔵さんが鎮座しています。

 

 右手には先宮神社があります。この神社には、次のような謂れが伝えられています。

 この地で古くから産土神として祀られていた神が、諏訪神社の祭神である建御名方命との抗争に挑み敗れてしまいました。その代償として、産土神はこの地に鎮座させられ、境内の外に出ることを禁じられました。このため、境内の前の小川には橋が架けられていません。

 確かに橋を架けるというほどの幅ではありませんが、橋はありませんでした。

 

 拝殿の脇に立つ大ケヤキは見事なものです。こぶのつき方が凄い。樹齢は650年以上と言われています。

 

 街道歩きは続きます。先宮神社脇の散策案内図によると、甲州街道と並行して山側には旧鎌倉街道が通っているようです。

 

 先宮神社から15分ほど歩き、下諏訪町に入ると左手の視界が開け棚田が広がります。棚田の向こうには諏訪湖を望むことができます。風光明媚な場所です。

 

 左手には茶屋橋本政屋跡が建っています。江戸時代後期からの茶屋で諏訪湖を一望できる場所にあります。諏訪のお殿様もお忍びで訪れたと言われています。

 

 消防団の先にも御柱に囲まれた双体道祖神が祀られています。風化していてお顔が分かりません。

 

 甲州街道は相変わらず高台を通っていますが、だいぶ諏訪湖に近づいてきました。上諏訪方面を望みます。

 

 すぐの右手には「南信八名所石投場」碑と「明治天皇駐輦」碑が並んで立っています。かつては石を投げれば諏訪湖に届くほどに諏訪湖の水面が街道脇まで迫っていた場所でした。また、巡幸の際、明治天皇は車を止めて諏訪湖の風景を愛でたそうです。

 この場所から眺めると諏訪湖水面まで10m以上はあります。往時は諏訪湖の面積は相当広かったみたいです。

 

 坂道を上っていきます。

 

 こちらは下諏訪方面の眺めです。遠く、岡谷付近の長野自動車道の高架橋も望めます。

 

 再び住宅地に入り、石投場から8分ほど歩くと一里塚跡に着きます。

 

 ここには甲州街道最後の一里塚がありました。富部の一里塚で、日本橋から数えて53里目の一里塚です。いよいよ。最後の宿場、下諏訪宿が間近になりました。

 

 右手には若宮神社の社標が建っています。右に入って若宮神社へ寄り道をします。

 

 石段をひとしきり上っていくと若宮神社の比較的新しい拝殿が建っています。

 

 振り返ると下諏訪の町が一望できます。かなり高いところまで上ってきました。

 鳥居の前にはかつての鎌倉街道が通っています。一部旧道として整備されています。

 

 再び甲州街道に戻ります。このあたりでは蔵を多く見かけます。

 

 右手街道脇の擁壁には承知川橋の一枚石がはめ込まれています。かつては手前にあった承知川に架かっていた橋石で、表面の模様は滑り止めとも、信玄の埋蔵金の隠し地図とも言われています。埋蔵金の在り処だといいですね。

 承知川には武田信玄の言い伝えがあります。武田信玄上杉謙信との戦いに臨む際、諏訪大明神と千手観音に戦勝祈願を行い、社殿の建て替えを約束しました。そして川中島の戦いに決着がつかず、甲斐へ戻る時、この地で乗っていた馬が急に動かなくなりました。信玄はふと先の約束を思い出し、「神のお告げ承知つかまり候」と叫んだそうです。それから承知川という名前が付いたと言われています。

 この遺構もご多分に(?)漏れず、ごみの集配所になっています。

 

 そして、諏訪大社下社秋宮前の駐車場に到着しました。

 

 秋宮に立ち寄りお参りします。

 

 ご神木の脇を抜けると、正面は大きな注連縄を掛けた神楽殿が建っています。両脇の狛犬は青銅製です。

 

 神楽殿の脇を回るとその奥には拝殿があります。両脇に回廊も備えた見事な社殿です。

 ここ秋宮では、春宮から8月に神様をお迎えして、2月には秋宮へお送りする遷座の神事があります。

 

 甲州街道はもう少し続いています。大鳥居まで戻り右脇の街道に入ります。

 

 

下諏訪宿

 

 すぐのところに「下諏訪宿甲州道中口 番屋跡」の石碑が立っています。ここから下諏訪宿に入ります。

 

 その先で、中山道を歩いたときもそうでしたが、新鶴本店で下諏訪名物の塩羊羹をお土産に買って帰ります。建屋は江戸時代後期の画家、天竜道人の屋敷跡で、新鶴本店は明治6年の創業です。

 

 そして、甲州街道のゴール、中山道との合流地点に到着しました。中山道を歩いて、この地の立ったのは2014年5月だったので、おおよそ8年半ぶりということになります。

 

 合流之地の石碑の脇には中山道甲州街道の方向を示すプレートが埋め込まれています。日本橋から53里11丁を歩いてきました。これで甲州街道は完歩です。

 

 合流点を後に、旧脇本陣の御宿まるやの角を左折して、下諏訪駅へ向かいます。

 下諏訪駅に着いたのは15:35、本日は5時間35分の行程でした。16:10のあずさに乗って帰路につきました。Sさん、お疲れ様でした。

 

 

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