今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(7)入生田~箱根宿 その1

 

2022年11月12日

 

入生田

 

 甲州街道も無事に歩き終わり、やっと、東海道の先を進めることができるようになりました。この秋の暖かいうちに箱根の山を越えたいと考えていますが、この時期、キャンプと晴れの日を取り合うため、なかなか、街道歩きに時間を割けませんでした。

 8時過ぎに入生田駅に到着しました。この地に立つのは半年ぶりです。空には雲が多く見られますが、陽がさしています。8:20に歩き始めます。

 

 ホーム脇を小田原方面へ少し歩き、すぐの十字路を左折し、その先をさらに左折して、東海道に入ります。

 

 すぐに箱根登山鉄道の踏切を渡ります。

 

 入生田駅箱根湯本駅の間では、小田急の車両が通る1,067mm幅の線路と、箱根登山鉄道の車両が通る1,435mm幅の線路が共用する線路になっています。三線軌条と呼ばれています。

 

 道路脇には柿も実っています。

 

 すぐに国道1号に合流します。その手前、右手には「日本初の有料道路」の説明板が立っています。明治8年(1875年)、板橋から湯本までの全長4.1kmが有料道路として開通しました。東海道の急坂では人力車も通れる緩い勾配の道に造り変えたそうです。

 

 高台にある歩道を通ります。ススキの穂も出そろっています。湯本方面へ向かう国道は渋滞しています。

 

 交通安全のモニュメントが分岐に立つところで右に入ります。

 

 長閑な裏通りと言いたいところですが、渋滞を避けた車がスピードを上げて、ひっきりなしに通っていきます。

 

 箱根新道の分岐点付近で再び国道1号と合流します。合流点には「山崎ノ古戦場」碑があります。慶応4年(1868年)の戊辰戦争幕府軍と新政府軍の戦いがありました。

 

 相変わらず渋滞が続きます。

 

 三枚橋交差点を左折して県道732号に入ります。

 

 早川に架かる三枚橋を渡ります。北条の時代には、早川に2つの中州があり、橋が3つ架かっていたのがその謂れです。

 

 早川の向こうには箱根湯本駅が見えます。

 

 坂道を上っていきます。

 

 小学校の脇を過ぎると左手には白山神社の鳥居が建っています。

 

 すぐの右手には早雲寺惣門が建っています。早雲寺へはここからは入れず、手前の駐車場から入ります。

 

 大永元年(1521年)に北条早雲の子、氏綱によって創建され、北条氏五代の墓があります。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めで焼失しました。

 

 箱根湯本の弥坂湯です。9:00からやっている共同浴場です。

 

 さらに上っていきます。

 

 道端には道祖神が旅人を見守っています。石祠に安置された道祖神と男女が手を取り合った双体道祖神です。茶屋の道祖神と記された説明板があります。

 

 ずっと坂道を上り、歩く速さも遅くなってきました。右手には旧箱根街道一里塚跡の碑が立っています。湯本茶屋の一里塚と呼ばれ、日本橋から数えて22里目の一里塚です。

 

 すぐの分岐を右に入ります。分岐脇には「箱根旧街道入口」の説明板が立っています。ここから最初の石畳が始まります。この先、255mの石畳は国の史跡に指定されています。

 

 石畳の道を下っていきます。

 

 さるはしと記された橋を渡ります。

 

 橋を渡ると、枯れ葉に埋もれた石畳を上ります。ちょっとだけ滑りやすくなっています。

 

 すぐに福寿院の脇で県道に戻ります。

 

 県道を歩き、観音沢を渡ります。この辺りから勾配がややきつくなってきます。

 

 奥湯本地区の入り口の角には観音坂の石碑が立っています。

 

 

東海道(7)入生田~箱根宿 その2へ続きます。