今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(9)三島~三島宿~沼津宿~原宿~東田子の浦 その1

 

2022年12月4日

 

三島宿

 

 8:15くらいに三島駅に到着しました。2週間ぶりの三島です。天気は晴れで日中は20℃近くになる予報ですが、風が冷たく少々肌寒いです。駅近くで朝食を取り、本日のスタート地点である本町交差点に向けて、8:45に歩き始めます。

 

 前回も帰りがけに前を通りましたが、右手には楽寿園の入り口があります。楽寿園明治23年(1890年)に小松宮彰仁親王が造営した別邸跡を三島市が公園に整備したものです。この付近は1万数千年前に富士山が噴火した際の溶岩流の末端に位置し、富士山からの湧水が湧きだし、その景観にアクセントを加えています。

 

 およそ10分で本町交差点に着き、右折して東海道に入ります。かつて、このあたりが三島宿の中心地として賑わっていました。

 

 すぐの右手には世古本陣が、街道を隔てた反対側には樋口本陣がありました。今はビル街に変わっています。

 

 右手、世古本陣跡には石碑が立っています。左手にあった樋口本陣跡には説明板が架けられています。

 

 本町の通りを進みます。往時の面影はありません。

 

 源兵衛川を渡ります。源兵衛川は先ほど前を通った楽寿園から湧き出た富士山の伏流水を源とする清流です。かつては農業用水としても使われていました。昭和になって川の汚染がひどくなりましたが、その後、市民の努力でかつての清流に戻りました。今はホタルの舞う水辺になっています。

 

 橋を渡って、川沿いを奥に歩いてみました。奥には時の鐘が建っています。今でこそ、コンクリートの櫓につるされていますが、最初に鋳造された梵鐘は寛永年間(1624~1644年)で三島宿の人たちに時を知らせていました。

 

 街道に戻ると伊豆箱根鉄道の踏切を渡ります。三島広小路駅の脇を通ります。

 

 ホームの向こうに富士山が見えます。今日も姿を現してくれました。だいぶ雪が積もってきました。

 

 駅前で道は二手に分かれますが、左へ入ります。

 

 加屋町地区を通ります。

 

 その先に西見附がありました。三島宿の京口です。

 

 秋葉神社の前あたりに西見附があったと言われています。

 

 境川に架かる境川橋を渡ります。伊豆国から駿河国に入ります。そして、三島市から清水町に入ります。

 境川橋の右側の欄干には千貫樋の説明板が立っています。天文24年(1555年)に今川、北条、武田の和睦が成立した際、北条氏康から今川氏真へ聟(むこ)引出物として、小浜池から現在の清水町方面へ疎水を通したのが始まりと言われています。これにより清水町の新宿、玉川、伏見、八幡、長沢、柿田地区が大変潤ったそうです。現在はコンクリートに変わっているようですが、橋から覗いてもよく分かりませんでした。

 

 境川です。

 

 千貫樋交差点を過ぎると右手に松並木?が見えてきます。

 

 松の木の間に常夜燈が立っています。弘化3年(1846年)に建立されました。秋葉大権現、富士浅間宮と刻まれています。説明板には「均整のとれた美しい姿の石灯籠」と記されています。なるほどね。

 

 伏見地区を進みます。

 

 左手に宝池寺が見えてきました。

 

 宝池寺の向かい、街道の右手には玉井寺がありますが、その脇に一里塚が現存しています。伏見の一里塚と呼ばれ、こちら(北塚)は玉井寺の一里塚とも呼ばれています。日本橋から数えて、29里目の一里塚です。

 

 南塚は宝池寺内に復元されています。こちらは宝池寺の一里塚とも呼ばれています。

 

 宝池寺の角で道は二手に分かれます。直進方向が東海道ですが、左手に入って日本三大清流のひとつ、柿田川湧水へ寄り道をします。あと二つの清流はもちろん四万十川長良川です。

 

 すぐにある国道1号の八幡東交差点で反対側に渡り、左へ歩くと柿田川公園の入り口に着きます。

 

 湧水地を中心に、あたり一帯が公園として整備されています。

 

 木々の間の階段を下っていくと第1展望台に出ます。この辺りが柿田川湧水の最上流になります。

 

 少し下流側にある第2展望台からは、かつての紡績工場の井戸だった跡からこんこんと水が湧いています。なぜこんなに美しい青色になるのでしょうか。

 

 国道1号を戻り、宝池寺の角の交差点へは向かわないで、そのまま直進して東海道との交差点、八幡交差点を左折して東海道へ入ります。

 

 右手に対面石の看板が見えてきます。ここも立ち寄ってみます。

 

 八幡神社の鳥居が立っています。

 

 

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