今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(9)三島~三島宿~沼津宿~原宿~東田子の浦 その3

 

2022年12月4日

 

沼津宿

 

 川廓通りを抜けて県道159号を南へ歩いていきます。リバーサイドホテルの生け垣に三枚橋城外堀の石垣が保存されています。三枚橋城や沼津城を中心に沼津の街並みが発展してきたため、今でも当時の堀の石垣が埋もれているようです。

 

 その先の歩道の車道側にも三枚橋城の外堀跡の石碑が置いてあります。これらの石は実際に石垣に使われたもので、発掘時にこの下に石垣が埋まっていたそうです。地べた近くのとても読み辛い位置に説明板が設置されています。

 

 東海道はすぐの通横交差点を右折します。かつてこの辺りには問屋場が置かれ、荷駄の積み替えで大変賑わった場所でした。

 

 次の交差点を左へ曲がります。

 

 交差点を左折して本町に入ると、かつての沼津宿のメインストリートです。左手には高田本陣、中村脇本陣、清水本陣、右手には間宮本陣が並んでいたと言われています。その面影は全くなく、小さな石碑が立っているだけです。

 

 下本町のバス停の先の信号のある交差点を右折します。

 

 すぐに浅間町交差点に出ます。

 

 交差点の右手には浅間神社があります。浅間神社延暦20年(801年)、坂上田村麻呂の東征凱旋の際にこの近くの狩野川岸付近に祀られ、建仁3年(1203年)にこの地に遷座されました。

 

 浅間町交差点を左折して千本浜へ寄り道をします。千本浜道と名付けられています。

 

 交差点から5分ほど歩くと、松林の中に入ります。あたり一帯は沼津市の公園となっています。この千本松原は狩野川の河口から田子の浦までの約10kmも続いています。

 戦国時代に北条氏との戦いで武田軍が元からあった松林を全て刈ってしまいましたが、風害や塩害に苦しむ農民を見て、増誉上人が1本1本手植えをして、千本の松林としたのが始まりと言われています。今ではその何十倍の松が生息しています。

 

 松林を抜けた先には堤防が設置されています。

 

 堤防の上に立つと絶景が待っています。弓なり広がった砂浜と青い海、富士市まで続く松林、その向こうには富士山を望むことができます。

 いつの間にか空全体に雲が広がっていました。今日は元々下り坂の天気だったので、街道歩きの最後まで富士山はその姿を現してくれているのでしょうか。

 

 こちらは伊豆半島方面です。

 

 浅間町交差点に戻り、東海道の先を進みます。

 

 浅間町交差点から5分ほど歩くと、西見附跡の石碑が立っています。かつては出口町と呼ばれていました。

 

 西高入口交差点を通過します。右から合流した道を沼津市街へ戻ると先ほど通過した通横町交差点に出ます。

 

 東間門地区を通ります。

 

 新中川に架かる間門橋を渡ります。

 

 右からの県道380号とここまで歩いてきた県道163号が西間門交差点で交差します。東海道はそのまま右手の県道163号へ進みます。

 

 西間門交差点からは、同じような町並みの直線道が延々と続きます。

 

 交差点から少し歩いたところで、右手の八幡宮の敷地には沼津藩の傍示石が立っています。沼津領の東側に立っているものと同じですが、「従是東」までしかありません。その下に記されていたと思われる「沼津領」は明治末期に折られて失われています。

 

 八幡宮を過ぎると小諏訪地区に入ります。小諏訪の諏訪神社の鳥居が立っています。

 

 直線道が淡々と続きます。

 

 大諏訪の吉祥院天満宮の前を通ります。

 

 大諏訪地区と松長地区の境あたりに、かつては一里塚がありました。

 

 松長一里塚の石碑が民家の塀に埋もれて立っています。大諏訪の一里塚とも呼ばれています。日本橋から数えて、31里目の一里塚です。

 

 松長地区を通ります。まだまだ、直線道は続きます。

 

 片浜駅入口にある交差点に着きます。時刻は12:30過ぎ、左手には西友があるので、昼食を食べるところはないか立ち寄ってみます。

 

 

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