今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(9)三島~三島宿~沼津宿~原宿~東田子の浦 その4

 

2022年12月4日

 

今沢

 

 西友のある一角には魚河岸寿司と王将がありました。日曜のお昼過ぎ、魚河岸は相変わらず混んでいたので王将で昼食を取ることにしました。ラーメンを食べつつ40分ほど休憩をした後、片浜駅入口の信号に戻り、街道歩きを再開します。空は完全に曇ってしまいましたが、富士山は辛うじてその姿を見せています。

 

 右手には祥雲寺があります。街道から立派な松が見えます。

 

 大塚地区に入ると正面に東海道本線の踏切が見えるはずですが、白いフェンスが立ち、どうやら工事中のようです。

 

 東海道は右にカーブして東海道本線原踏切を渡ります。踏切の正面にはいい感じで富士山が見えます。

 

 さらに、直線の街道を進みます。

 

 右手には神明宮があります。鳥居の脇には赤い帽子と赤い前掛けを付けた2体の塞ノ神(道祖神)さまが祀られています。

 

 

原宿

 

 神明宮脇の路地を隔てた街道との角に東木戸跡の石碑が立っています。原宿は東木戸から西木戸まで660間(2.2km)ありました。

 

 原宿を進むと白隠禅師生誕の地の標柱が立っています。白隠禅師は「駿河に過ぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」と歌われ、松陰寺を中心に全国に禅宗の教えを広めた名僧でした。

 

 白隠誕生地前交差点を過ぎた右手、消防団の隣には浅間神社があります。武田氏に仕えていた植松李重がこの地に移り、浅間神社を創建しました。

 

 道を隔てた反対側には問屋場や本陣の説明碑が立っています。本陣を務めた渡邉家は源頼朝の弟、阿野全成の子孫だそうです。

 

 原駅交差点を通過します。左手正面が原駅になります。

 

 すぐの左手には、白隠正宗の蔵元、高嶋酒造があります。脇の道に入ると、酒造の水を汲みに来る人が集まっています。富士の霊水と呼ばれて親しまれています。

 

 高嶋酒造のはす向かいあたりに原宿西木戸跡の碑が立っています。

 

 沼川第2放水路を渡ります。東海道の北側を海岸線と並行に流れる沼川から川の水を迂回させる放水路です。沼川が流れる一帯は、その昔、浮島沼と呼ばれる広大な湿地帯でしたが、治水による新田開発が進められてきました。

 先ほど通過した原踏切の地下には沼川の新しい放水路が建設されているようです。

 

 放水路に架かる新田大橋から富士山を眺めます。曇り空に雪を頂いた富士山の景色は寒々さを感じさせますが、実際は寒くはありません。

 

 左手の歩道脇には一里塚碑が立っています。原の一里塚で、日本橋から数えて、32里目の一里塚です。

 

 一本松地区を進みます。

 

 右手には三社宮(浅間神社)が建っています。

 

 ゆずでしょうか。柑橘系の実がたわわに実っています。

 

 西一本松バス停が立つところには大通寺があります。幕末の頃から寺子屋が置かれていました。

 

 桃里地区を進みます。とにかく淡々と歩くしかありません。

 

 すぐ脇には東海道本線が走っているようです。電車の音が聞こえます。

 

 原踏切から延々歩くこと1時間10分で再び東海道本線を渡ります。植田踏切です。

 

 その先で富士市に入ります。まだまだ直線道が続きます。

 

 東柏原交差点を通過します。左手からの道路は県道380号(旧国道1号)で、沼津市西間門で別れてから再びここで合流します。

 

 富士市の標柱、「見よう歩こう富士市東海道」です。

 

 そして東田子の浦駅入口の交差点に到着します。本日の街道歩きはここまでとして、右に入って駅に向かいます。

 

 右折してすぐのところにある東田子の浦駅に到着しました。時刻は14:55です。今日の行程は市街地の中をひたすら歩いた6時間10分でした。

 辛うじて富士山はその姿を雲に隠さずいてくれました。沼津の街中では前面に立つ愛鷹山が富士山の眺めを遮っていましたが、ここにきて、また、長い裾野を見せてくれます。

 14:57に入ってきた電車にぎりぎり間に合い、帰路につきました。

 

 

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