今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(10)東田子の浦~吉原宿~蒲原宿~新蒲原 その3

 

2022年12月25日

 

吉原宿西木戸跡

 

 志軒橋の手前で、約1.3km続いた吉原宿も終わりになります。西木戸跡の標柱が立っています。吉原宿はいくつかの街道の起点となり、また、水運の拠点でもあったため、物資が集まる要所でした。

 

 橋を渡ると国道139号との交差点、錦町北交差点に出ます。国道の横断歩道を渡り、南へ進みます。

 

 すぐの錦町交差点で交差する青葉通りを横断し、マンションの右脇の道に入ります。

 

 静かな住宅地を直進します。

 

 直線の道を500mほど歩くと、五差路の高島交差点に出ます。右から2本目の道、県道396号に入ります。

 

 高島町の通りです。

 

 潤井川に架かる橋が見える手前で東海道は右に入ります。

 

 正面に市民病院が見える一通出口の前を左折します。

 

 潤井川に架かる富安橋を渡ります。かつては橋が架かっていませんでしたが、正徳元年(1711年)に朝鮮使節の通過の際に仮橋が設置されましたが、その後の水害によって流されてしまいました。その後、飛脚屋が費用を出して橋を設置しました。こ飛脚は江戸と京を月に三度往復していたことから三度橋と呼ばれていました。

 

 蓼原町を進みます。

 

 民家の塀の凹んだところに塞ノ神が鎮座しています。人の形をした道祖神です。

 

 本市場地区に入ります。

 

 富士総合庁舎を過ぎたあたりに「旧東海道 間宿 本市場」の説明板が立っています。本市場は吉原宿と蒲原宿の中間にある間の宿で白酒を振る舞う茶屋が立ち並び、繁盛していました。

 

 すぐ先には鶴芝の碑があります。この場所には鶴の茶屋がありました。ここから富士を眺めると残雪?で鶴が舞うように見えたそうです。文政3年(1820年)に、画家の蘆州が鶴の絵を描き、儒者亀田鵬斎が書を書き、碑が立てられました。

 

 大きな通りに突き当たります。東海道中央分離帯によって遮られています。街道歩きのための説明板には丁寧に右側か左側の横断歩道を迂回するように示されています。左側へ歩き、県道の交差点で渡り、反対側に向かいます。

 

 食パンの店の前を左折して東海道に戻ります。

 

 すぐに、先ほど横断歩道を渡った県道396号と合流します。一旦県道を横断してから、東海道は黄色いお宅の前で左折します。

 

 静かな住宅街の中を歩くと、正面には王子マテリアルの工場が見えてきます。

 

 左手、駐車場の先の花壇の奥に一里塚碑があります。本市場の一里塚で、日本橋から数えて、35里目の一里塚です。

 

 第一小学校の前を過ぎると県道を横切ります。左へ進むとJR富士駅へ通じます。こちらも大きな商店街になっています。

 

 用水路を渡ったところに札ノ辻跡があります。かつては高札場がありました。

 

 右手には秋葉常夜燈が絶っています。

 

 県道396号の交差点から左に入ってから20分ほどで再び県道と合流します。

 

 すぐに身延線のガード下をくぐります。左手には柚木駅があります。

 

 五差路の橋下交差点を通過します。右から3番目の直進方面の道です。

 

 すぐの二又を右に入ります。分岐の角には秋葉常夜燈と道標があります。説明板には、常夜燈は慶応元年(1865年)に建立されました。道標には「左東海道」と記されているようですが、風化してよくわかりません。

 

 住宅街を通ります。

 

 再び、歩道橋のあるところで県道に合流します。

 

 

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