今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(1)鎌倉から湘南深沢 その2

 

2022年12月29日

 

源氏山

 

 鎌倉七口の一つである仮粧坂を上り切ると源氏山公園に出ます。左手の広場に立つ源頼朝像にまずはご挨拶です。この像は源頼朝が鎌倉入りして800年を記念して昭和55年(1980年)に建てられたものです。

 この辺りを源氏山と呼んでいますが、かつて八幡太郎義家が後三年の役(1083年~1089年)の際にこの地に白旗を立てて戦勝祈願をしたとか、ふもとにある寿福寺あたりに源氏の邸宅があったことに由来しています。

 

 ここで、源氏山公園から南へ下って、源実朝北条政子の墓がある寿福寺へ向かいます。

 

 寿福寺はすぐのように思えたのですが、、、

 

 化粧坂に負けないぐらいすごい坂を下っていきます。

 寿福寺の裏にある墓地の一番山側にある崖をくり抜いたところに実朝の墓とそのすぐ近くに政子の墓があります。おそらく、普段は静かな墓地なのでしょうが、ここも大勢の観光客が訪れていて、みんなの後を付いていくと二人の墓にたどり着けます。

 帰りは墓地脇の階段を上っていくとだいぶショートカットできることがわかりました。

 

 再び仮粧坂入口の分岐まで戻り、直進して葛原岡神社方面へ向かいます。

 

 すぐに車道に出るので葛原岡神社方面の標識に従い右へ進みます。左の道も鎌倉街道の別ルートになっています。

 

 坂道を上っていくと葛原岡神社へ入ります。

 

 左手には日野俊基の墓があります。後醍醐天皇の側近だった日野俊基後醍醐天皇とともに2度にわたり鎌倉幕府倒幕を企て、元弘元年(1331年)に六波羅に捕えられました。その後、鎌倉へ護送され、ここ葛原岡で処刑されました。そして、後醍醐天皇隠岐へ流されました。

 

 鎌倉街道日野俊基墓地の角を左へ入ります。

 

 左折する前に直進して葛原岡神社へ向かいます。

 

 葛原岡神社は日野俊基を祀っています。また、縁結びの神社としても有名です。なかなか質素な社殿です。

 

日野俊基墓所の角まで戻り、右折して砂利道の鎌倉街道に入ります。

 

鎌倉街道っぽい道を下っていきます。

 

やがて車道に出るので左へ入ります。右の道を辿るとJR北鎌倉駅へ続いています。

 

 緩やかに上っていきます。

 

 道なりに左へカーブすると梶原地区へ入ります。この地は梶原景時ゆかりの梶原の郷があったところと言われています。梶原氏の始まりは桓武平氏の流れをくむ鎌倉景久がこの地に住みついたと言われています。

 

 坂を下っていくと、道は二手に分かれます。街道は右の直進道を進みます。左の道はS字を描いて斜面を下っていきます。分岐の角には「S字坂」と記された標柱が立っています。

 

 静かな住宅街を進みます。

 

 山の上ロータリーを通過します。これまで歩いてきた通りは「山の上通り」、この先は「西の坂」と呼ばれ、ここから下る道は「日当たり坂」と呼ばれています。

 

 その先も二股に分かれていますが、右の道に入ります。

 

 ロータリーから7分ほど住宅街の中を下っていくとT字路に突き当たります。突き当りの下には深沢中学校が見えます。ここは右折してさらに坂を下ります。

 

 次の十字路を左折します。

 

 深沢中学校脇をさらに下っていきます。

 

 校門の先に地名由来の説明板が立っています。この辺りは寺分大工谷と呼ばれ、鎌倉時代、この先にある大慶寺を修復した工匠が住んでいたと伝えられています。

 

 すぐに突き当りに出るので、右折します。仮粧坂の先で分岐した鎌倉街道の別ルートはここで合流します。

 

 道なりに左へカーブします。

 

寺分地区に入ります。谷間に延びる街道です。

 

 すぐの左手には大慶寺があります。かつては、関東十刹に数えられました。茅葺屋根の門が特徴的です。

 

 さらに、住宅地を抜けると富士塚小学校入口交差点に出ます。通りの上を湘南モノレールが走っています。今日の街道歩きはここまでとして、左折して湘南深沢駅を目指します。

 

 200mほど高架の下を歩き、湘南深沢駅まで来ましたが、駅付近で休憩しようと思いたち、通りの反対側にあるほしの珈琲豆やさんに入りました。ペレットストーブで暖められた店内でコーヒーとキャラメルクリームとリンゴのロールケーキを頂きました。

 30分ほど休憩してモノレールに乗り込みました。時刻は15:55。本日は5時間50分の行程でした。

 

 

 

 

鎌倉街道上道(1)鎌倉から湘南深沢 その1へ戻ります。

 

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