2023年1月2日
俣野
明治学院大学の運動場の脇を通り、県道403号との交差点を横断して直進します。
住宅地の中に入り、弓なりに左へカーブした先で右の道に入ります。その先の分岐はさらに右に入ります。
坂道を上っていくと正面に鳥居が見えてきます。
正面には上俣野神社があります。上俣野神社はかつては欽明天王社と呼ばれていました。創建は不明ですが、欽明天皇の代(539?~571?年)とも言われています。
鳥居の前を左折します。
上俣野神社の前を左折して、突き当りを右折してすぐの傍らにはお地蔵さんが立っています。
道はその先で二股に分かれるので、右に入ります。分岐には庚申塔が3基建っています。
すぐの二又は左へ入ります。
道なりに進むと境川湧水地公園の外周道路に出ます。
公園沿いに右手方面へ歩きます。
境川湧水地公園は境川の洪水時に水を一時的に貯めておく防災施設です。今日は正月休みで中に入ることができません。
公園内で境川と合流する和泉川に架かる新折越橋を渡ります。
橋を渡ったところで右手の和泉川沿いの遊歩道に入ります。
一つ先の橋が架かる舗装道に出るので、左折します。
再び公園の外周道路に出るので、右手に進みます。
さらに、すぐの分岐で外周道路から右の道に入ります。
突き当りを右折します。
下飯田交差点を横断し、直進します。
東泉寺の隣には琴平神社があります。天正18年(1590年)に下飯田の領主になった筧助兵衛為春が菩提寺として東泉寺を建立し、境川の水難除けのために金毘羅宮を勧請しました。
その先の道路脇には双体道祖神が祀られています。この双体道祖神は村の守り神であるとともに、この道が鎌倉街道であったので旅の安全を願う神でもありました。
高架の脇に富士塚公園があります。この付近には飯田五郎家義館があったと言われています。飯田五郎家義は源頼朝が戦った石橋山の戦いで、当初は平氏方についていましたが、頼朝勢を土肥へ逃がすなどしました。その後の富士川の戦いでも源氏に組して武功をあげ、それにより、この地の地頭に任命されました。
しばらく歩くと、道は三方向に分かれるので、右の細い道に入ります。
緩やかな坂道を上っていきます。
右手には左馬神社があります。源義朝を祭神としていて、社名の由来は義朝の官職であった左馬頭からきています。このあたりには左馬、さばと名の付く神社がいくつか点在しています。
飯田五郎家義が勧請したとも言われています。
左馬神社を過ぎると、長閑な道になります。これぞ鎌倉街道といった感じの道です。
すぐに先ほど別れた通りに出ます。鎌倉街道は通りを横断して直進しますが、今日の歩きはここまでとして、合流場所の十字路を右折して相鉄線ゆめが丘駅へ向かいます。
5分ほど歩くと駅前に着きます。駅周辺は開発中のようです。
そしてゆめが丘駅に着きました。時刻は11:50。今日は2時間55分の行程でした。すぐに入ってきた上り電車に飛び乗り帰路につきました。