今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(4)南町田から京王永山 その1

 

2023年2月18日

 

鶴間

 

 8:40くらいに南町田グランベリーパーク駅に到着しました。まだ朝が早いにもかかわらず、意外と多くの人が電車から一緒に降り立ちました。天気は晴れです。今はとても寒いのですが、日中は15℃くらいになる予報です。8:45に、奥さんと一緒に街道歩きをスタートします。

 

 7分ほどで本日のスタート地点に到着し、交差点を右折して、鎌倉街道に入ります。東急田園都市線のガード下をくぐります。

 

 国道16号を歩道橋で渡ります。八王子方面を望みます。

 

 鎌倉街道は、国道16号との交差点の角にあるファミマの裏から右へ入ります。

 

 すぐのところからさらに右に入ると、階段の上に熊野神社の鳥居が見えます。

 

 社殿は立派ですね。いつ創建されたかは不明ですが、享保11年(1726年)に社殿が造営された跡が残されています。現在の建屋は昭和46年(1971年)に再建されました。

 

 熊野神社から街道に戻り、10分ほど歩いて常楽寺の角を左折します。

 

 その先、都道56号を横断してすぐの突き当りを左折します。さらに、一つ目の角を右折して静かな住宅地を進むと、やがてのどかな畑の中の道に変わります。

 

 金森地区に入り、再び、住宅団地に入った一本目の角を右折して、さらに次の角を左折します。

 

 細い道に入ると、

 

 角には西田杉山神社があります。イチョウの大木が参道を塞ぐように立っています。また、入口の袂には庚申塔も祀られています。

 

 社殿は質素な感じです。下鶴間にある高木伊勢守の館の鬼門除けの守護神として設けられた社です。

 

 西田杉山神社の角を曲がって北へ進みます。

 

 セブンイレブンの角で先ほど横断した都道56号と合流します。

 

 西田杉山神社から10分ほど歩くと、団地の手前に鳥居が立っています。

 

 高台の上には天満宮が祀られています。もちろん祭神は菅原道真で学問の神様です。

 

 社殿の横には菅原道真の歌碑が立っています。

  こち吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春をわするな

 説明もいらないほど有名な歌ですね。

 

 その先で街道は急に道幅が狭くなります。ひょっとしたら旧街道の道幅なのかもしれませんが、住宅街の中、車がひっきりなしに通って行きます。対面で車がすれ違うと歩行者は通れなくなり、街道の趣は全くありません。

 200mほど歩くと左手には金森杉山神社があります。こちらも杉山神社です。

 

 境内脇には石仏石塔が並んでいますが、一つ一つ説明書きが付けられています。光専神、道祖神、日待神、庚申塔庚申塔、地神塔、庚申塔地蔵菩薩、鳥居跡記念碑と鳥居台座、皇太子殿下御降誕記念碑、日露戦争勝記念艦砲模擬弾と並んでいます。艦砲模擬弾とはなんとも物騒ですね。しかし、とても親切です。

 

 金森杉山神社の祭神は日本武尊で、天和3年(1683年)に、旗本 高木伊勢守一族が下屋敷内に奉斎したのが始まりと言われています。

 

 やがて道幅の狭い都道56号は右へ大きくカーブしていきますが、鎌倉街道は直進方向のさらに細い道へ進みます。

 その先で、街道はJR横浜線の線路に遮られるので、道なりに左へ曲がります。旧道は線路を跨いで一直線に続いていたようですが、ここから先へは進めません。

 

 線路を跨ぐために、町田天満宮を回り込みますが、神社脇から境内に入ります。

 元応年間(1319~1321年)に大沢正純という人が本町田にある菅原神社に菅原道真を祀りました。その後、天正10年(1582年)に本町田村が本町田と原町田に分村された際、この地の原町田に菅原道真を祀ったのが始まりと言われています。

 

 神様の使いの牛の像です。

 

 境内には紅梅白梅と、梅の木があちこちで花を咲かせています。それを目当てに多くの人が集まり、写真に収めています。

 

 社殿正面の鳥居をくぐると、

 

 線路を跨ぐ歩道橋の上に出ます。

 

 跨線橋を渡り終えて町田駅前通りを駅方面へ向かいます。このあたりで、先ほど遮られた旧道に戻ります。

 

 JR横浜線町田駅近くのモスバーガーの先で右の商店街に入ります。この先は、人出が多くて写真を撮るのもはばかれます。

 ここで、まだ、10時なのですが、1回目の休憩のためにサイゼリヤへ入ります。

 

 40分ほど休憩した後、JR町田駅前北交差点を右折して、次の原町田中央通り交差点を左折します。左折方向には交番を挟んで2本の道に分かれていますが、右手の鶴川街道(都道3号)に入ります。鶴川街道は区画整理された通りを無視して北へ向かっていますが、鎌倉街道の旧道は、この道ではなく、町田駅からさらに西側を通っていたようです。

 原町田中央通り交差点から1kmほど歩き、町田高校の前を通ります。

 

 さらに5分ほど歩くと、左手からの都道52号と合流し、右手方向へ進みます。

 

 合流する交差点の左手の横断歩道を渡り、北へ向かって歩きます。

 

 左手の高台には菅原神社があり、都道に面した階段を上り社殿へ向かいます。この階段のある坂道はおんな坂と呼ばれています。

 

 坂を上った広場奥には、「史跡 井出の澤」と記された石碑と、井出の沢古戦場の説明板が立っています。井出の沢は菅原神社の南西部に広がる低湿地にあり、台地から湧き出る水場で鎌倉街道を行き来する人馬の喉を潤していました。

 また、建武2年(1335年)、信濃に身を隠していた北条高時の子である時行が蜂起して鎌倉奪還を目指しました。いわゆる中先代の乱です。時行は鎌倉街道を南下して足利尊氏の弟直義とこの地で戦を繰り広げました。時行は直義軍を破り、進軍して鎌倉を占拠しましたが、わずか20日足利尊氏に鎮定されてしまいました。

 

 

鎌倉街道上道(4)南町田から京王永山 その2へ続きます。