2023年3月20日
宇津ノ谷
東海道の峠を控えた間の宿(あいのしゅく)宇津ノ谷の家並みを歩いて行きます。地元の人々の努力で昔ながらの町並みが維持されています。
石畳の通りは直角に右に曲がりますが、東海道は正面の階段を上ります。景色は石垣も加わり、さらに趣度がアップします。
階段を上り切ると右からの上り道に出ます。左折して道なりに右へカーブしつつ、さらに上っていきます。
坂道は再びT字路に突き当たります。桜も咲き始めていますね。
東海道は右手に入ってすぐの登り口を上ります。その前に、左折して明治のトンネルへ寄り道しましょう。
石畳風の道を上っていくと、
そこには公園があります。
濃い赤の花が咲いています。珍しい木ですね。
公園の中央にはこの近辺のジオラマが展示されています。こちらは、宇津ノ谷地区方面からの眺めです。これから上る東海道の峠越え道は、ちょうど明治のトンネルの上を通っています。
こちらの面は峠の向こうの坂下側です。
その先を歩いていくと、明治のトンネルに着きます。
明治のトンネルは明治9年(1876年)に日本初の有料トンネルとして開通しました。国の登録文化財に指定されています。苔むしたレンガの壁が時代を感じさせられます。
ここでトンネルの中を覗き、Uターンして、来た道を帰ります。
先ほどのT字路まで戻り、少し先から峠に向けた上りを始めます。上り口には「東海道宇津の谷峠越え」の標識が立っています。
坂道を上り始めると道端に馬頭観音が祀られています。昔から峠道を往来する人馬を見守っていたのでしょう。
竹林が雰囲気を変えます。
ひとしきり上ると、開けた明るい場所に出ます。木々の合間からは先ほど通った宇津ノ谷地区の町並みが望めます。山間にひっそりとたたずむ集落です。
さらに山の中へ分け入ります。
道端には俳人雁山(がんざん)の墓があります。山口素堂から俳諧を学んだ雁山は、享保12年(1727年)に旅に出たきり音信が途絶えてしまいました。このため、駿河の文人たちは旅先で没したと思い、この墓を建てました。しかし、雁山は本当は生きていて、明和4年(1767年)に82才で没しました。
高度を上げていきます。
右手に見える石垣は峠の地蔵堂跡です。精巧に積み上げられた石垣は上段と下段とで傾斜を変えてあるそうです。
その先は急坂を上ると、
石垣上の地蔵堂跡に出ます。
さらに、U字に削られた峠道を上ります。
峠道に入って10分強で宇津ノ谷峠に到着します。この辺りで、静岡市から藤枝市へ入ります。静岡市は結構広かったですね。
下り坂に変わるとすぐのところで柵が見えてきます。
国道1号のトンネルの通気口へ続く舗装道路の擁壁の上を柵に沿って下り、舗装道路へ出ます。下の写真は舗装道路から東海道の下り道を振り返って見たもので、往時は当然、舗装道も通気口もなかったので、街道はこちらへ真っ直ぐ下ってきていました。
しばらく舗装道路を下っていきます。
その先で、右手の舗装道と左手の土道へ分岐します。東海道は左手の道に入り、坂下を目指します。右手へ進むと大正時代のトンネルに繋がっています。明治、大正、昭和、平成とトンネルが峠下を貫いています。ここが交通の要所だったことがよく分かります。
再び土道を下っていきます。竹林が多いですね。
髭題目と呼ばれている石碑です。南無妙法蓮華経の文字が髭のように跳ね上がっています。天保6年(1835年)に建立され、人馬の安全、天下泰平、五穀豊穣の願いが込められています。
峠から10分強で舗装道と合流します。これで宇津ノ谷の峠道は終わりとなります。左からの道はつたの細道へ通じています。
さらに舗装道を下っていくと右手には坂下地蔵堂が建っています。かつては峠の北側とここ南側に地蔵堂があり、峠を行き来する旅人の安全を見守っていました。
道はトンネルから抜け出た国道1号の擁壁に突き当たり、道なりに左へ進みます。