今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(14)藤枝~島田宿~金谷宿~金谷 その2

 

2023年4月8日

 

上青島の一里塚

 

 上青島の一里塚跡です。説明板は歩道側から見えるように立っていますが、一里塚跡の石碑や夢舞台の道標は車道側へ向いています。日本橋から数えて、51里目の一里塚です。

 

 その先の一里山交差点で県道381号に合流します。


 まだまだ、松並木が残っています。

 

 島田市に入ります。

 

 東海道は脇にセブンのある島田市道悦交差点で右に入ります。交差点を左折するとJR東海道本線六合駅に通じています。

 

 車通りの少ない静かな住宅街に変わります。

 

 しかし、道悦島西交差点で、再び、県道381号と合流します。

 

 お茶屋の前には昭和天皇御巡察之碑が立っています。

 

 大津谷川を渡ります。

 

 栃山橋です。往時は土橋が架かっていました。

 

 御仮屋歩道橋の脇に監物川と監物橋の説明板が立っています。寛永13年(1635年)、この地を治める田中藩主水野監物忠善は栃山川以東の地域の水不足を解消するために大井川から栃山川までの水路を切り開きました。農民たちはこれに感謝して監物川と呼びました。

 

 御仮屋交差点で左の道へ入ります。

 

 

島田宿

 

 島田商業高校バス停付近に東の見附がありました。

 

 東の見附には5間(9m)四方の桝形があったと言われています。

 

 これは島田の帯祭の大奴ですね。歩道にはこの奴が描かれたブロックを数多く見ることができます。

 

 その先には島田の一里塚がありました。日本橋から数えて、52里目の一里塚です。

 

 商店街を進むと、

 

 問屋場跡があります。

 

 右手にあるのは「刀匠 島田顕彰碑」です。室町時代から江戸末期まで島田では刀鍛冶集団が活躍していました。今川、武田、徳川など戦国大名にも刀工として高い評価を得ていました。義助、助宗、広助の名前が広く知れ渡っていました。

 

 その先には下本陣がありました。今は「おび通り」という名で整備され、からくり人形時計がシンボルとして立っています。定時になると奴の人形が踊り始めます。

 

 その先には、中本陣、上本陣と並んでいました。現在は控えめに小さな石碑が立つのみです。

 本通り2丁目交差点の角には芭蕉の句碑が立っています。

  するがぢや はなたち花も ちゃのにほひ

 「たちばなの匂いも強いが、ここ駿河路では茶の匂いもそれに勝るものだ」といった内容でしょうか。

 芭蕉が大井川の川止めで4日間ほど島田宿の塚本如舟にお世話になったときに詠んだ句だそうです。

 

 本通り2丁目交差点を通過します。島田まで来ると風は結構強くなっています。

 

 本通り2丁目交差点から左へ大きくカーブした先の信号のある交差点の角に道標が立っています。「北 大井川渡船場迄・・・」と記されています。

 

 すぐの街道脇には大井神社の鳥居が立っています。大井神社の創建は不明ですが、貞観7年(865年)に従五位の下を受けたことが資料に残っています。江戸時代には大名や飛脚が旅の安全を祈願したことから、旅行安全、交通安全の神としても知られています。

 

 その先には西の見附がありました。こちらも説明板が立っています。

 

 

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