2023年4月8日
大井川
ちょうど正午になったので、大井川を渡る前に県道を右折してすぐのところにあるジョイフルで昼食をとります。
そして、50分ほど休憩してから大井川を渡ります。距離は1km、橋の先が見えません。風はやっぱり強いです。
風は上流から下流に向けてかなり強く吹いています。橋の上は吹きさらしなので、強さが増すと川側へよろけそうになります。カメラも飛ばされないように必死に構えます。
こちらは上流側です。昨日の雨でいつもより増水しているんでしょうね。
およそ15分で大井川橋を渡り切りました。駿河国を抜けて遠江国へ入ります。
渡りきったところには、これから上る金谷の石畳でしょうか、商人風の旅人が歩いています。
こちら側にも大井川橋の土木遺産の説明碑が立っています。アーチ状の形は橋の橋脚部を模したものですね。
その橋脚部です。アーチ状の石積み?形状がなかなかいいです。
土手道を下流に向けて歩き始めます。
土手道を200mほど歩くと、金谷側の川越し場付近に着きます。対岸を望もうとしましたが、木々に遮られています。
振り返って、土手道から下り、東海道に戻ります。
直線の街道が続きます。
八軒屋橋の手前には水神公園があります。
金谷宿側の川越し場にも、島田側同様に一番宿から十番宿までの番宿や川会所、札所などがありました。
八軒屋橋で新堀川を渡ります。
橋の欄干には富士山と川越しのレリーフが。
新堀川です。
金谷側には川越しの遺構はありません。普通の住宅街が続きます。
今日と明日(4月8日、9日)は、金谷の茶まつりが行われるようです。提灯が並んでいます。
かつてはこの秋葉神社あたりまで川越しの施設がありました。
すぐに大井川鉄道の踏切を越えます。左手奥には新金谷駅が見えます。
金谷宿
大代川を大代橋で渡ります。隣の新しい歩行者用の橋はその名も往還橋です。
大代川です。このあたりは大井川の作る流域で幾筋も川が流れています。
清水川の脇にも秋葉神社が祀られています。
清水川には小さな鯉がいっぱい泳いでいます。初夏ですね。
茶まつりということですが、この先もしばらくはゆったり歩いていけました。人通りも徐々に多くなり、所々で屋台が待機していて、みなさん祭を堪能している感じでした。
しかし、信号のある交差点を過ぎたあたりから通りは一変します。みるみるうちに人が増えてごった返し、人込みで旧跡がどこにあるのかも分からなくなりました。
かろうじて、山田本陣跡の説明板の前には見物人がいなく、写真をとることができました。
江戸初期の頃の金谷宿本陣は柏屋(1番本陣)と佐塚屋(2番本陣)の2軒で、ここ山田屋は脇本陣でしたが、その後、山田屋は3番本陣に格上げされました。
その隣の2番本陣佐塚屋でもなんとか写真が取れました。佐塚屋本陣には、絵のような鯱を載せた門があったそうです。
しかし、その先の柏屋本陣、角屋脇本陣、お七里役所跡は見物客の山でどこにあるのかさえ分かりません。
見物客が集まっていたのは「茶娘合同踊り」で、おそろいの絣の着物に姉さんかぶりの茶娘や元茶娘、ちびっこ茶娘が街道いっぱいに3列に整列して踊りを披露しています。
1,000人くらい(後でネットを調べたら500人くらい)でしょうか、茶娘の列が街道の先まで続いていて圧巻です。写真を載せることができればよかったのですが。
見物客の合間を縫うように進み、やっとの思いで踊りの最前列を抜けるとその先は見物客がいなくなりました。
左手には定飛脚問屋(三度屋)がありました。月に3回、飛脚の定期便を京大阪から江戸の間に出していました。
その先で東海道は左折してJR東海道本線と大井川鉄道の線路の下をくぐります。角には一里塚跡の碑が立っています。金谷の一里塚で、日本橋から数えて、53里目の一里塚です。
本日の街道歩きはここまでとして、直進して金谷駅へ向かいます。
すぐに金谷駅に到着しました。時刻は14:05です。本日の行程は5時間30分でした。
その後、金谷駅から東海道本線に乗って静岡駅まで戻り、丁子屋へバスで向かいます。丁子屋は土日のみ夜も営業しているので、駅前でお茶をしながら時間をつぶし、16:30開店に合わせて静岡駅前からバスに乗り込みます。
16:30前に丁子屋に着きましたが、すでにそこそこの人が店の前に集まっています。前回はおやつ代わりにとろろ汁「丸子」をいただきましたが、今回は夕食として「本陣」を二人で注文してしっかり食べました。
帰りは、丸子橋入口17:50発の藤枝駅行きのバスに乗り込み、ところどころ前回歩いた夕暮れの街道を見ながら、19時前に藤枝駅に到着しました。