今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

東海道(15)金谷~金谷宿~日坂宿~掛川宿~掛川 その1

 

2023年4月9日

 

金谷宿

 

 藤枝駅から電車に乗って7:45に金谷駅に着きました。天気は晴れ、今日は昨日のような強い風は吹いておらず、湿度も低く心地よい気候です。

 金谷駅前には、JRさわやかウォーキングのイベントがあるようで、そこそこの数のウォーカーが集まっています。そういえば、中山道の大井宿から十三峠を越えるときに、ルートは逆方向でしたが、さわやかウォーキングの集団とすれ違いました。今回は諏訪原城までは同じ道を辿るようです。

 駅前に立つ案内の方に地図をもらい、7:50に歩き始めます。

 

 大井川鉄道の駅舎の前を通って下っていくと、本日のスタート地点の一里塚前に出るので、右折してガードをくぐります。

 

 線路をくぐると街道は道なりに右折して線路沿いを通り、その先で駅の裏側に出ます。

 線路をくぐった正面の階段の上には長光寺があります。境内には芭蕉の句碑が立っています。

  道のべの 木槿は馬に 喰われけり

 貞享元年(1684年)、芭蕉が門人千里と江戸から伊賀へ向かう旅の際、大井川を渡ったときの句と言われ、野ざらし紀行に記されています。

 乗っていた馬がぱっくりと木槿(むくげ)の花を食べてしまった驚き感を表していると言われています。日光街道野木宿あたりの法音寺にも同じ句碑がありました。

 

 金谷駅裏を進んだ先で小さな不動橋を渡ります。かつては金谷大橋、西入口土橋と呼ばれ、金谷宿の西の入り口になっていました。橋の袂にはこれから越える金谷坂や小夜の中山の峠道を上下する公認の籠かき屋がありました。

 

 不動橋から急坂がはじまります。道端の道祖神が金谷宿を見守っています。

 

 国道473号の擁壁に突き当たるので、道なりに右手の坂を上り、国道へ出ます。

 

 国道の歩道で折り返して少し坂を上り、旧東海道石畳の標識に従って右折します。

 

 国道から金谷の町方面を望むことができます。遠くには大井川に架かる東名高速道路の橋が見えます。かなり上ってきましたが、上り坂は、まだまだ、これからが本番です。

 

 旧東海道石畳入口の大きな看板も立っています。

 

 民家の間の急坂を上っていきます。

 

 石畳茶屋の脇から石畳が始まります。金谷坂の上り坂です。

 

 平成3年(1991年)に金谷の人々600名の手で430mの石畳を復元しました。「平成の道普請」と呼ばれ、そのおかげで、往時の街道の雰囲気がよく現れています。有難いことです。

 

 金谷坂は続きます。

 

 右手の六角堂は平成5年(1993年)に有志の手で建立されたすべらず地蔵尊です。石畳で滑らないということにちなんでいますが、今は受験生や商売の方々の名所にもなっています。

 

 およそ10分強で舗装道に出ます。JRさわやかウォーキングの標識が立っています。ぽつぽつと、先を急ぐウォーカーが追い越していきます。

 

 石畳を上り切るとそこは一面の茶畑が広がっています。牧の原台地の平坦地に出ました。牧の原台地は大井川の作る堆積平野が隆起したもので、このあたりは標高215m、金谷駅との標高差は120mもあります。

 とても良い天気です。八十八夜はおよそ1ヵ月後です。今年はお茶の成長も早いかもしれません。

 

 しばらく西へ向かって舗装道を歩いて行きます。さわやかウォーキングの人たちが結構歩いています。

 

 すぐの右手が諏訪原城跡になっています。諏訪原城天正元年(1573年)に武田勝頼が築城しましたが、2年後の天正3年(1575年)に徳川家康に攻め落とされました。その後、牧野城として名前が変えられ、家康による今川の高天神城攻略の拠点となりました。そして、高天神城の落城と武田氏滅亡によりその役目が終わり、天正18年(1590年)頃に廃城となりました。現在は堀や丸馬出跡が残るのみとなっています。

 

 大手廓の南側にあったと言われている堀跡です。

 

 さわやかウォーキングのルートは諏訪原城跡でUターンすることになっているので、その先は静かな街道歩きになります。センターラインのある舗装道を渡ります。

 

 横断歩道を渡ると石畳の下り坂の入り口になります。菊川坂と呼ばれています。

 

 遠くに見える粟が岳の斜面には「茶」の文字が浮き上がっています。

昭和7年(1932年)に地元の人が茶のアピールのために作りました。

 

 石畳の道を下っていきます。

 

 菊川坂では、平成12年(2000年)の発掘調査で一部江戸時代後期の石畳が確認されました。町では平成13年(2001年)に500名の協力を得て、江戸時代の個所を含めた700mの石畳を復元しました。

 平成の道普請に協力した方々の名前が掲示されています。

 

 まだまだ下ります。これからの小夜の中山越えを考え、足にダメージを与えないようにジグザグに下っていきます。

 

 江戸時代の石畳に入ります。

 

 江戸時代の石畳の石の大きさは、平成の石畳に比べると不揃いです。

 

 車道を横断しますが、

 

 その先も江戸時代の石畳が続きます。

 

 やがて菊川坂の石畳は終わりになり、菊川の里に入ります。

 

 さらに下っていきます。

 

 橋の手前、菊川辻では、左手からの道と交差する角に古びた道標が立っています。岩松寺への道標で、岩松寺はここから南へ下った菊川の対岸にあるようです。

 

 

東海道(15)金谷~金谷宿~日坂宿~掛川宿~掛川 その2へ続きます。