2023年4月9日
日坂
下木戸跡から10分ほど歩き、右手にある事任(ことのまま)神社本宮の鳥居の前を通ります。この先にある事任八幡宮へ立ち寄ります。
鳥居の先で県道415号に突き当たります。事任八幡宮前交差点です。
八幡宮へは右手歩道の坂道を上り、横断歩道橋で県道を渡ります。
歩道橋を渡り、左へ入って小さな太鼓橋を渡ると正面に鳥居が立っています。
突き当りの左手階段上には拝殿が見えます。
事任八幡宮の創建は不明ですが、大同2年(807年)、坂上田村麻呂の東征の際に本宮山からこの地に遷座しました。願い事をそのままかなえてくれる神様として人々の信仰を集めています。早速お参りしないと。
鳥居脇の大クスの木です。
ご神木の大杉です。これはすばらしい。
事任八幡宮へのお参りを済ませた後、神社の前から再び歩き始めます。ここからはしばし単調な県道歩きとなります。
国道1号の下をくぐります。
東海道は八坂の歩道橋の下から左の道へ入ります。
歩道橋の脇には塩井神社の鳥居が立っています。拝殿は逆川の向こう岸にあります。川の中に潮泉が湧く塩井があり、事任八幡宮の古文書にはこの塩水を用いてお清めをしたという記録があるそうです。
八坂地区を進みます。幕末の俳人伊藤嵐牛生誕地の碑が立っています。
嵐牛俳諧資料館があります。嵐牛は幕末に生まれ、28才の時に松尾芭蕉の流れをくむ三河の俳人鶴田卓池に入門しました。その後、遠州一円の第一人者になりましたが、嵐牛の教えは「俳諧は太平の余波、句を作るより田を作れ」だったそうです。
T字路の手前には福天権現本道道標が立っています。ここから南西に直線で2.5kmの菊川市内にある龍雲寺への道を示しています。
その先のT字路脇には一里塚跡のスペースがあります。
伊達方の一里塚で、日本橋から数えて、57里目の一里塚です。
歌人石川依平出生の地の石碑が立っています。幕末の歌人として名声が高く、門人は300名を超えていたと伝えられています。
再び県道と合流する角には慶雲寺道標が立っています。「慶雲寺道 従是五丁」と記されています。
県道415号と合流します。
すぐのところで東海道は左の道へ入ります。
左手には諏訪神社があります。貞観16年(874年)に信濃国諏訪大社上社より勧請されました。
その先、街道の傍らには6地蔵が祀られています。
またしても県道と合流します。
延々県道を歩きます。薗ケ谷交差点を通過します。
県道を歩くこと20分強で、三度、左の道に入ります。本村橋交差点です。
木の柵に囲まれた碑は、大頭龍権現・福天権現道標です。大頭龍神社は福天権現の龍雲寺からさらに南東へ2.5km先の菊川市加茂にあります。
比較的新しい秋葉常夜燈が立っています。
馬喰橋で逆川を渡ります。
馬喰橋の親柱は馬の顔ですね。
馬喰橋を渡ります。