今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(16)児玉から神川 その2

 

2024年3月16日

 

八日市

 

 鎌倉街道は雀の宮橋の先で、田んぼの広がる神川町八日市地区に入ります。田んぼの区画に沿って歩くので、旧道をトレースしてはいないと思いますが、やがて民家が集まる場所になります。ここから寄り道のために街道から反れて八高線の踏切を越えます。道は再び本庄市に入ります。保木野地区というところです。その先で「塙保己一旧宅」の標識に従って右折します。

 

 右折すると正面に見えるのは龍清寺です。龍清寺には応永年間(1394~1428年)の石碑があり、その開山は約600年前と言われています。

 

 本堂脇には飛龍の榧(カヤ)と呼ばれる大木が立っています。見事に傾いています。

 

 芭蕉の句碑もあります。

 若葉して 御めの雫 ぬぐはばや

 

 龍清寺の前で道は左へ曲がり、その先に塙保己一の旧宅があります。

 

 塙保己一は延享3年(1748年)に、ここ保木野村で生まれました。不幸にも、7歳で失明しましたが、後に江戸に上り、努力の末、国学者としての地位を築きました。この旧宅は彼が生まれてから幼少期を過ごした場所でした。個人宅のようなので中には入れません。

 

 旧宅を後にして、踏切を渡り、鎌倉街道に戻るため、先ほどの交差点を左折します。

 

 再び、行く手に田園風景が広がります。

 

 2週間前の街道歩きの時に比べるとホトケノザの紫が際立ってきました。

 

 やがて、道は線路沿いに出ます。

 

 2つ目の踏切、第十八日市踏切を渡ります。

 

 踏切を渡り、そのまま進むと、角に卵の自動販売機がある最初の十字路に出ますが、ここは直進します。

 

 次の十字路を右折します。

 

 畑の向こうに神川町役場の白いい建物が見えてきます。

 

 菜の花畑ですね。

 

 役場前を過ぎると、神川町の中心部に入ります。県道22号との交差点、神川町役場入口交差点を通過します。

 

 台地の上からわずかだけ坂道を下ると、広々とした低地に出ます。神流川の造る沖積平野ですね。

 

 その先で舗装道は二手に分かれますが、真ん中の土道に入ります。

 

 田んぼの中を道なり進むと、

 

 やがて、車通りに突き当たるので、左折します。

 

 歩いてきた田んぼ道の方面を振り返ります。台地の上に民家が集まっています。

 

 しばらく歩くと、右手には出雲神社があります。巨木が立っています。

 

 拝殿の前を左へ進むと、舗装道路の向こうに旧家が見えます。

 

 旧高橋家の長屋門を残した高橋記念公園になっています。門の裏手には駐車場とトイレ、その奥に広場が整備されています。高橋家はこの土地の名主を勤めていました。

 

 舗装道路を南に歩くと鎌倉街道に戻りますが、そのまま街道を横切って進むと、

 

 道の傍らには庚申塔など石塔群が立っています。

 

 十字路に戻り、先の街道を進むと、お堂が建っています。

 

 お堂の前には、様々な石仏石塔が並んでいます。

 

 神流川の土手が見えてきました。

 

 そして、土手に到着しました。斜面一面に菜の花が咲いています。

 

 土手の上に上りますが、雑木で神流川の流れは全く見えません。今日の街道歩きはここまでとします。次回は、神流川の対岸、群馬県藤岡市本郷からスタートします。

 

 土手上から、来た道を戻り、JR八高線丹荘駅へ向かいます。そのまま道なりに真っ直ぐ進んで、八高線の踏切を越えると、丹荘小学校の前で県道22号に出ます。ここを右へ曲がり、すぐの踏切の手前を左折すると丹荘駅に到着します。無人駅ですが、小さく何とも可愛らしい絵が飾られています。

 時刻は11:05です。今日は短めの2時間55分の行程でした。次の上りの列車は12:16発で、1時間ほどボーっとして待っていました。

 

 

 

国土地理院の地図を加工しました。

 

 

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