2024年5月12日
今宿
東海道は間の宿大野の町並みを抜けると、大野交差点で国道1号の北側を回り込みます。大野交差点から今宿地区を20分ほど歩くと、再び、国道1号に合流します。合流する角には東海道土山今宿碑と大きな燈籠が立っています。
東海道は大野西交差点で、斜めに横断して県道549号に入ります。
すぐの左手には「水口宿」と記された標柱が立っています。いよいよ水口宿ですが、宿場の入口はもう少し先のようです。
さらに、角に狸の立つ二又を右へ入ります。
坂道を上っていきます。
今郷地区を進みます。かつては今在家村と小里村に分かれていました。
左手には一里塚が復元されています。説明板によると、実際の位置はもう少し東側にあったようです。今在家の一里塚で、日本橋から数えて112里目の一里塚です。
東海道は、すぐの、T字路を左折します。
道は下り坂となり、浄土寺の門前を通ると先ほど分かれた県道に出ます。
県道を西へ向かって歩いて行きます。左手には野洲川の河川敷が広がっています。
T字路は通過しますが、その角辺りには高札場がありました。
その先で東海道は右の道へ入ります。
さらに、今郷、旧小里村の町並みを通ります。
しばらく道なりに歩いて行くと、再び県道に戻ります。
そして、すぐに、右の道に入ります。
その手前には、「岩神社 岩上不動尊 参道」の石碑が立っています。そして、飛び出し坊や飛脚バージョンも。
「岩神のいわれ」の説明板によると、この地は古くから野洲川に面した奇岩、巨岩が多い景勝地とされていました。「伊勢参宮名所図会」にも絵入りで紹介され、社はなく、岩が祀られていて、村人は子供が生まれるとこの岩の前に立ち、旅人に頼んでその子の名前を決めてもらう習慣があったと記されています。
新城地区に入り、岩上バス亭の前を通過します。
しばらく歩くと、右手に八幡神社の社標が立っています。舗装道の先、斜め前方に鳥居が見えます。
鳥居の手前、スギの巨木が目を引きます。
正面には鳥居が立っています。
鳥居の左手に建つのは観音堂で、馬頭観音を祀っています。元は近くにあった天水寺の本尊でしたが、その寺が天正年間(1573~1592年)に兵火に合い、ここ八幡神社で祀られるようになりました。観音堂には江戸時代中期に奉納された絵馬が200点以上納められています。
八幡神社の拝殿です。
東海道に戻り、その先の二又は右へ入ります。
道なりに坂道を上っていきます。
街道脇には東海道の松並木の説明板が立っています。かつてはこの辺りの松並木の合間から古城山(水口岡山城の立つ山)が望まれ、絵のような景色であったと思われると記されています。写真の正面に見える小高い山が古城山のようです。
さらに雰囲気のある道を進みます。
県道307号を横断し、山川を渡ると、その先は住宅街の上り坂にさしかかります。
坂道を上り切ったところで、右から合流するT字路に出ます。
水口宿
T字路の右手には冠木門のモニュメントが立ち、かつて、この辺りには水口宿の東見附(江戸口)がありました。説明板によると、当初の東海道は野洲川の河原を通っていましたが、慶長10年(1605年)に東海道が現在の山手に付け替えられた際に、この場所に江戸口が設置されました。そして、天和2年(1682年)に水口藩成立に伴い、城下の警護のために江戸口と京口には桝形土居が巡らされ、木戸や番所が置かれるようになりました。
元町交差点を横断します。
交差点を渡った先には、松原町の標石が立っています。水口宿では旧町名の標石を多く見ることになります。
すぐのところに松原町曳山蔵が建っています。水口曳山祭は享保年間(1716~1735年)に町民の手で創り出されました。賑やかな曳山巡行と江戸祭囃子の流れをくむ水口囃子が有名です。