2024年5月12日
水口宿
東海道は東の見附跡から水口宿に入ります。その先、元町交差点を過ぎると、趣のある町並みが続きます。
左手には脇本陣がありました。
現在は、当時の脇本陣の建屋の一部だけ残っているそうです。説明板によると、水口宿随一の規模を誇る町家建築だったと推定されています。
そして、本陣はというと、すぐ隣にあったようですが、見過ごしてしまいました。
その先で、道は二又に分かれます。
分岐にはかつての高札場が復元されています。
傍らには三筋の町の案内地図が示されています。ここから水口の城下の通りは3本の平行な道に分かれ、およそ、1km先で3本が合流します。三筋の町と呼ばれています。3本の通りの真ん中の道が旧東海道にあたるようです。
そういえば、以前に日光西街道鹿沼宿を歩いた際に、街道が二本の筋に分かれていました。江戸以前の旧道と、鹿沼宿が整備されてからの街道に分かれていました。
まずは二又の左の道に入ります。
すぐの二股は右へ、三筋の真ん中の道に入ります。
こちらは旅籠町の曳山蔵です。説明板によると、水口の曳山は町内ごとに所有し、その数は三十数基に及びます。「二層露天式人形屋台」という構造で、組み上げたままの姿で曳山蔵に収められています。
水口まつり保存振興会の説明板には旅籠町曳山の姿が示されています。
さらに三筋の東海道を進みます。
十字路の角にある和菓子屋の向かいあたりに問屋場がありました。説明板があります。水口宿の問屋場は江戸中期になると、この場所に定まりました。
次の十字路の右手には本水口駐車場があり、バス停と休憩所、トイレなどもあります。
十字路の角にはからくり時計が立っています。
正午になったら曳山が動き始めますが、今は10時半です。
十字路の先へ進みます。
路面にはさつき?を模した意匠のブロックが続いています。
郵便局にはタヌキが。
昔ながらの商店街のようです。
高札場から歩くこと15分で三筋の通りの合流点に着きます。
合流点から振り返ってみます。真ん中の道が歩いてきた東海道です。
三筋の合流点には曳山の姿を模したからくり時計があります。時刻になると、時計の両脇から旅人と芸者が、下の扉から女将が登場するようです。動き出すのは、ここも、次は正午です。
からくり時計の台座には広重の「東海道五十三次 水口 名物干瓢」の浮世絵が架けられています。
すぐのところで小さな水路に架かる石橋を渡り、もう一度振り返ります。橋の袂に西側に向いた説明板が立っています。説明板によると、江戸初期の水口宿は水口岡山城の城下として整備され、宿場の京口はこの場所にありました。寛永以降は水口城の築城に伴い、石橋以西にも城下が広がりました。
すぐのところで左へ入ると水口石橋駅に出ます。次回の街道歩きはここからスタートしますが、今日はこの先にある水口城を目指します。
東海道とのT字路に戻り、左折して東海道に入ります。その先、東海道は標識に従って右折しますが、ここは直進します。そして、信号のある交差点、角に藤栄神社のある交差点を左折します。すぐのところで水口城の堀脇に出ます。
生け垣の前には説明板が立っています。水口は天正13年(1585年)に築城された水口岡山城の城下として、すでに発展してきました。江戸時代に入り、寛永11年(1634年)、三代将軍徳川家光は上洛の際の専用の宿館を築かせました。それがこの水口城となります。作事奉行には、建築や作庭に秀でていた小堀政一(遠州)が当たりました。本丸と二の丸から成り、本丸御殿は京都二条城と類似の建屋構成になっていました。家光の上洛がなくなると、幕府の任命した城番が管理するようになりますが、天和2年(1682年)に加藤明友が入封して、加藤家が水口藩主となりました。途中、1度だけ鳥居家に変わりましたが、その後は加藤家が明治維新まで藩主として勤めました。
本丸の図面を見ると、上の写真の堀に囲まれた石垣と櫓のある部分は大手門に通じる出丸に相当します。
右手にある城内に架かる橋は通行止めになっています。
このため、堀に沿って右手へ歩き、水口高校のグランド(かつての本丸、二の丸跡)の東側を回り込むと門が建っています。この辺りが大手門があったところのようです。
本丸から大手門?をくぐって出丸に抜けます。往時は出丸の右隅には番所がありましたが、今は隅櫓を模した水口城資料館が建っています。資料館で水口岡山城のこと、水口城のことについて、展示で勉強させてもらいました。
こちらは先ほどの通行止めの橋に繋がる高麗門です。
再び、本丸を回って城外へ出て、出丸の南東側の角を眺める場所に来ます。元々ないところに櫓(資料館)がありますが、これはこれでとても絵になりますね。堀の周りの木々で、なかなか堀と石垣と櫓を写真に収めることが難しいですが。
ここで、パラパラと小雨模様になってきたので、近くの近江鉄道水口城南駅へ向かい、今日の街道歩きは終わりにします。時刻は11:25で、今日の行程は短めの3時間20分でした。
次の貴生川行きの電車まで45分もあるので、近くのスタバで昼食兼休憩を取りました。そして、店を出るときには、とうとう雨が降り始めていました。
貴生川から京都回りで帰路につきました。