東海道(31)石部~草津宿~草津追分~草津 その1
2024年10月14日
石部
宿泊先の南草津から電車を乗り継いで、8:15に石部駅に着きました。天気は快晴ですが、昨日同様、暑くなりそうです。
今日は草津宿の中山道との追分まで歩き、東海道はこれで完歩になります。草津追分から京三条大橋までは、すでに、中山道歩きで歩いています。2021年12月に日本橋から東海道をスタートして、ここまで2年と10か月掛かりました。
8:25から歩き始めます。

駅前通りを直進するとすぐに、東海道に突き当たり、右へ入ります。

すぐの左手には小公園があり、「西縄手」の説明板が立っています。西縄手とは石部宿の西にある縄手道(直線のあぜ道)であったことを指します。また、宿内に入る参勤交代の大名行列はこの場所で行列を整列させ、石部宿内を賑々しく練り歩きました。目見改場と呼ばれていました。

公園内には東海道五十三次の全宿場名が刻まれた地図と、何枚かの広重の絵が記された石板があります。

すぐのところで、小さな川を渡り、T字路を左折します。

その先の、左から合流するT字路の角に「五間茶屋道と古道」の説明板があります。かつての東海道は野洲川沿いにありましたが、天和2年(1682年)の大洪水で街道が流出してしまい、翌年には南側の山沿いを回る街道(新道)が整備されました。新道は旧道に比べて2倍の2kmの距離がありました。そして、山の中を通るため、旅人の安全を考えて、元禄2年(1675年)に石部宿から5軒の茶屋を移転させて五軒茶屋という場所を作りました。明治に入ると旧道が整備され、かつての東海道の古道が復活しました。新道は上道、古道は下道と呼ばれるようになりました。
T字路の左へ入る道が新道(上道)で、直進方面が古道(下道)となり、古道の1km先で二つの道は合流します。
距離の短い直進方面の旧道に入ります。

一旦、街道の左手を流れている宮川を渡り、その先で国道1号の高架の下をくぐります。

草津線の線路脇を進みます。

この辺りにも赤い穂のススキが茂っています。

国道1号の高架の下をくぐってから15分ほどで、今度は名神高速道路の下をくぐります。この辺りから栗東市に入ります。

高速をくぐったところで十字路に出ます。左からの道が先ほど分かれた東海道の新道(上道)で、2つの道はこの場で合流します。その先の東海道は十字路を直進します。

田園風景の中を歩いて行きます。

振り返ると石部の金山あたりでしょうか。小高い山が望めます。

街道の北側には近江富士と呼ばれる三上山がそびえています。標高432mの美しい円錐形の姿を見せています。三上山には、この美しさにそぐわない大ムカデ退治の伝説が残っています。
かつて、関西出張で新幹線の窓からよく見かけたものですが、こんな近くで歩きながらじっくり見ることができるなんて。

街道は伊勢落(いせおち)地区に入ります。静かな家並みが続きます。

昔懐かしいホーロー看板が。

伊勢落とは珍しい地名です。その由来は、古代の東海道、伊勢へ向かう道は伊勢大路と呼ばれ、それが訛ったものとも言われています。近くの野洲川岸には、伊勢斎王がみそぎを行った跡があります。斎王とは、天皇の代替わりの際に伊勢神宮に派遣される女性の皇族のことです。

さらに、伊勢落地区を進みます。

真教寺の門前にはカラフルな花の絵が付けられた石碑が立っています。

街道脇には、栗太八景「伊勢落晴嵐」の漢詩碑が立っています。栗太八景は寛延3年(1750年)に慶祟寺の僧、至遠(ちおん 素月)が漢詩で栗太の景色を詠んだものです。
伊勢落晴嵐
梅痩せ柳疎にて柴扉鎖す 簷外は半ば晴れ野草肥ゆ
山色の末分の雲気は腫れ 一声鳥啼き霧破りて飛ぶ

林地区に入り、星条旗飛び出し坊やの脇には何やら石碑が。

新善光寺道 従是三丁と記された道標です。

右手には鐘楼が見えてきます。

浄土真宗本願寺派のお寺、長徳寺があります。その門前には薬師如来堂が建っています。

また、薬師如来堂の前には「従是東膳所領」と記された領界石も立っています。
