鎌倉街道上道(18)根小屋から高崎 その2
2024年11月24日
西山名
上野三碑のうち、金井沢碑と多胡碑を速足で巡り、吉井駅から上信電鉄に乘って西山名駅に11時過ぎに到着しました。今日の鎌倉街道歩きはここからスタートします。時刻は11:10です。この先で鎌倉街道から少しだけ横道に反れますが、山上碑も寄っていきたいと思います。

線路を渡って北へ向かって歩き始めます。

十字路は直進します。
芳賀氏の著書には、十字路を直進して山の中腹を東へ進み、山名八幡宮へ下るルートと、前回、鏑川を渡川した場所よりさらに東側の渡川場所から鏑川を渡り、そのまま直線的に山名八幡宮方面へ向かうルートが示されています。芳賀氏は平地を直線的に進む後者が鎌倉街道の本道であろうと推定しています。
また、十字路を右へ進むと、丘陵地帯の縁を通って山名八幡宮へ繋がっています。芳賀氏は十字路の左右方向は八幡宮から下仁田へ抜ける鎌倉街道だったと考えています。

北側にある丘陵地帯への上り道に入ります。道端にはカラスウリが実をつけています。

結構、高いところまで上ってきました。眼下には鏑川の作る平地を望むことができます。

さらに、上っていきます。

急な上りもすぐに終わり、街道は下って行きます。少しだけ下ったところで、三叉路に出ます。三本辻と呼ばれていて、鎌倉街道はここを右折します。

三本辻の角には「お陰地蔵」と呼ばれている山上地蔵尊が鎮座しています。説明板によると、付近は鎌倉街道の山本宿と呼ばれ、賑わっていたと伝えられています。この場所のような辻や宿の出入り口には、旅人の安全や地域の見守りのために石仏や石塔が祀られることが多く、山上地蔵尊もその類として設けられたと考えられています。

街道を右折して山名八幡宮へ向かう前に、直進して山上碑を訪問することにします。

三本辻から道を下り、沢を渡って道なりに左へ曲がって直進します。沢を渡る手前には、山上碑を訪れる人のための駐車場とシャトルバスのバス停があります。

右手には「来迎阿弥陀画像板碑」が祠に収められています。金属の扉に鍵が掛かっているので、実物は見えませんが、緑泥片岩に阿弥陀如来像が彫られている板碑で、高さ97.5cm、幅33cm、厚さ5cmの普通サイズです。鎌倉時代中期の、建治4年(1278年)の銘が記されているそうです。

三本辻から5分ほどで、右手にある山上碑の入り口に到着します。まずは木の階段を上ると、

こちらも、結構急な石階段が続きます。

山上碑も覆屋の中に保管されています。

こちらは、正面からの写真が撮れました。

山上碑ではボランティアの方の説明を聞くことができました。
山上碑には、放光寺の僧侶長利が、隣にある古墳にその母が埋葬されたことと、母方の系図、父方の系図を記載したものと言われています。辛巳681年のもので、漢字は日本語の語順で読むことができる日本語独自の使用方法になっています。

山上碑の覆屋の隣にある山上古墳です。山上碑の碑文から、長利の母である黒売刀自(くろめとじ)が追葬されたと言われています。

三本辻まで戻り、鎌倉街道を東へ進みます。新しい住宅団地の中の道です。

少しずつ下っていきます。正面には赤城山が見えてきます。

十字路を直進して坂を上ります。

車道から反れて、高崎自然歩道の標識に従って山名駅を目指して進みます。

左手にある見晴らしの良い場所からの眺めです。この場所は、これまで歩いてきた丘陵地帯の東の突端部に位置し、この先は関東平野が広がっています。すぐ下には上信電鉄の線路が、突端部を回り込むように走っています。

階段を下っていきます。

階段を下り終えると、山名八幡宮の本殿の裏側に出ます。ここには裏神様として獅子頭が祀られています。「疳の虫」や「厄」を嚙み砕く力があります。

本殿の彫刻が見事です。神を守る6種類の動物が散りばめられています。明和6年(1769年)、彫師関口文治郎によるものです。

その6種の動物の彫刻を示す説明板です。

正面の幣殿に回ると、紅葉が進んでいました。

幣殿の彫刻も見事です。

山名八幡宮は、新田源氏の祖、義重の子である山名義範が、安元年代(1175から1177年)に大分の宇佐八幡宮から勧請したのが始まりと言われています。品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)、玉依比売命(たまよりひめのみこと、比売大神)をご祭神としとしています。
この神社は安産、子育ての宮としての信仰を受け継がれ、今日も、七五三やお宮参りの参拝で賑わっていました。

階段を下り、随神門をくぐると、その先の参道は珍しいことに上信電鉄の線路をくぐります。

線路をくぐってから振り返ります。随神門を正面から見ると白い神馬が祀られています。
