今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

今へ続く鎌倉街道上道を歩くと

 

今へ続く鎌倉街道上道を歩くと

 

 鎌倉街道上道(かみつみち)のうち、鎌倉から高崎まで完歩しました。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見て、鎌倉時代通(?)になったこともあり、ちょうど、2年前の年末に鶴岡八幡宮からスタートしました。

 

 「鎌倉街道」という呼び名は江戸時代になってから使われていたようですが、鎌倉時代には、鎌倉の七口(七つの切通し)から、様々な場所へ街道が伸びていて、有事の際に御家人達が「いざ鎌倉」と、駆けつけられる道になっていました。その中でも、上野を通って信州、越後を結ぶ上道(かみつみち)、下野を通って奥州を結ぶ中道(なかつみち)、常陸を通って奥州を結ぶ下道(しもつみち)が幹道とされています。しかしながら、それぞれにも何本もの支道があったようで、一本の街道になっていたわけではありません。一方、京と鎌倉を結ぶ鎌倉期の東海道(京鎌倉往還)も存在し、京との連絡網や物資の移動などで上道などとは違った役割を果たしていました。すでに完歩した江戸期の東海道歩きにおいても、何度か源頼朝の痕跡や「鎌倉街道」という言葉を目にしました。

 

 鎌倉時代の道といっても、相当年月が経っています。徳川幕府五街道を整備したのが、今から400年前、鎌倉幕府が開かれたのが、さらに、それよりも400年前で、そんな800年も前の街道が残っているのだろうかと思っていましたが、いくつかの場所に街道の遺構が残っていました。すばらしいことに、埼玉県毛呂山町では街道遺跡に加えて、苦林宿と想定される宿場の遺跡、寺院跡、古墳群が発掘、保存され、国指定の史跡にも認定されました。

 

 鎌倉街道は、鎌倉時代には坂東武者が有事の際に鎌倉へ駆け付けるための道でしたが、鎌倉幕府滅亡時から室町時代前半期にかけては、街道が鎌倉の地をめぐる攻防合戦の場にもなりました。

 元弘3年(1333年)、後醍醐天皇の倒幕計画に呼応して新田義貞小手指ヶ原、久米川、分倍河原幕府軍と戦い、鎌倉に攻め入って北条得宗家(執権北条高時)を滅ぼしたのを始めとして、その2年後の建武2年(1335年)には、今度は生き延びた高時の遺児北条時行が諏訪で旗揚げをして、鎌倉幕府奪還を目指した久米川や井出の沢での戦いがありました(中先代の乱)。

 また、正平7年(1352年)には、南朝方の新田義興・義宗兄弟(新田義貞の遺児)の鎌倉攻めの戦い(武蔵野合戦)がありました。この時、鎌倉を治めていたのは北朝方の足利尊氏でした。さらに南北朝統一の後には、鎌倉公方関東管領の抗争に端を発した合戦(応永23年(1416年)上杉禅秀の乱、享徳4年(1455年)享徳の乱分倍河原の戦い)も鎌倉街道上道筋で行われました。しかし、享徳の乱鎌倉公方足利成氏が鎌倉を奪われて下総国古河へ逃れ、事実上鎌倉府が崩壊しました。これにより鎌倉の重要性は薄れ、鎌倉街道における鎌倉攻防戦もなくなっていきました。

 高校時代、日本史の教科書を丸ごと棒暗記した頃に比べると、街道を通して歴史の流れを俯瞰することができた気がします。

 

 

歩いた行程

 

日付   行程
2022-12-29 鎌倉⇒湘南深沢
2023- 1- 2 湘南深沢⇒ゆめが丘
2023- 2- 4 ゆめが丘⇒南町田
2023- 2-18 南町田⇒京王永山
2023- 3- 4 京王永山⇒北府中
2023- 4-29 北府中⇒西国分寺
2023- 5- 3 西国分寺⇒東村山
2023-12-23 東村山⇒所沢
2023-12-29 所沢⇒入間川
2024- 1- 7 入間川⇒西大家
2024- 1-13 西大家⇒大橋
2024- 1-27 大橋⇒武蔵嵐山
2024- 2-17 武蔵嵐山⇒能増
2024- 3- 3 能増⇒小前田
2024- 3-10 小前田⇒児玉
2024- 3-16 児玉⇒神川
2024- 3-31 藤岡⇒西山名
2024-11-24 根小屋⇒高崎

 

 

寄り道

 

 町田市の小野路宿から布田道に入ると深い切通しが現れます。関谷の切通しです。

 

 武蔵国分寺は天平13年(741年)に聖武天皇が全国に建立させた寺院のひとつです。国の史跡に指定されています。

 

 古代の官道、東山道の支道で、上野国から武蔵国府まで続いていた武蔵路跡が国分寺市内でいくつか辿ることができます。ここでは、発掘時の道路遺構のレプリカが展示されています。

 

 鳩山町にある赤沼古代瓦窯跡です。この辺りでは飛鳥時代から近世にかけての窯跡が点在し、近くにある石田国分寺瓦窯跡とともに、白鳳期(645~710年)に建立された寺院や8世紀半ばに建立された武蔵国分寺の瓦も作られていました。

 

 嵐山町の杉山城は戦国時代に、山内上杉氏によって築城されました。見事な土塁や堀に囲まれ、「築城の教科書」と称されています。

 

 高崎市に残る古代の石碑、上野三碑のひとつ、山上碑です。辛巳681年に放光寺の僧侶長利が建立したもので、上野三碑の中で最も古い石碑です。

 

 

参考にさせていただいたのは、

 ・芳賀善次郎「旧鎌倉街道探索の旅Ⅰ 上道・山ノ道編」

 ・鎌倉街道上道を歩いた先人のブログ他、様々なウェブサイト

 

鎌倉街道上道 完歩>