水戸街道(1)北千住~千住宿~新宿~松戸宿~松戸 その1
2024年12月28日
千住宿
先日、東海道歩きを終え、五街道は残り奥州街道のみとなりました。すぐにでも奥州街道歩きに入ろうと思いましたが、この秋はドタバタして歩きを始めることができませんでした。すでに冬の寒い時期に突入してしまったこともあり、奥州街道は春を待ってから始めようと思います。それまでは、比較的暖かい(と思われる)水戸街道を歩いてみようと思い立ちました。
水戸街道は江戸から水戸徳川家のお膝元の水戸城下まで通じていて、五街道に準ずる脇街道として位置付けられていました。水戸徳川家は江戸定府で参勤交代の義務はありませんでしたが、水戸街道沿いの諸大名を始め、奥州の大名の参勤道になっていました。
水戸街道の日本橋から千住宿までは、日光街道との共用区間となっています。この区間は、2013年12月に日光街道歩きですでに歩いているので、今回は千住宿内にある追分からスタートします。
地下鉄千代田線に乗って、8:30過ぎに北千住駅に着きました。天気は雲が多めですが晴れています。寒波が来ているので完全防備で8:55に西口から歩き始めます。

すぐのところで、駅前通りを横切る日光街道との交差点に出るので、右折して街道に入ります。街道は宿場町通りと呼ばれる商店街になっています。11年前と変わらない風情です。

前回も見た本陣跡の説明板を眺め、

高札場の由来を読み、

横山家住宅も昔のままだなあと思い、

前回の記憶を思い起こしながら千住宿を歩くこと10分で、信号のある交差点に到着します。この場所が日光街道と水戸街道の追分で、直進は日光街道、右に折れるのが水戸街道です。

右折する角には現代の道標が立っています。「東へ 旧水戸佐倉道 北へ 旧日光道中」と記されています。水戸街道はこの先の新宿から佐倉街道と分岐するので、その間は水戸佐倉道とも呼ばれています。

一直線の街道の先には、千代田線や常磐線の高架が見えてきます。

高架の手前で右折すると千住氷川神社の鳥居が立っています。

千住氷川神社は元禄4年(1692年)に長円寺境内で創建され、素戔嗚尊を祭神としています。正月の初詣の準備が進められています。

水戸街道に戻るとすぐのところで線路の高架をくぐります。千代田線、常磐線、つくばエクスプレスの3線が通っています。

さらに、その先で東武スカイツリーラインの高架をくぐります。

東武線をくぐる手前、高架脇には清亮寺の山門が建っています。

山門をくぐった右脇には「槍掛けの松」の碑が立っています。

かつて、水戸街道に面していた清亮寺には街道の反対側まで届くような枝を持つ松の木が立っていました。大名行列の槍持ちはどんなことがあっても槍を横に倒すことが許されていません。しかし、この松の下を通るときは槍を横にせざるを得なく、そこでこの松を切ってしまおうとしたときに、徳川光圀が「このような見事な松を切るのは惜しい。それでは、この松に槍を立て掛けて休憩し、出発の際に槍持ちが向こう側から槍を取り直せば、横に倒したことにはならない」と言いました。説明書きによると、碑にある写真は関東大震災以前に撮られた槍掛けの松の見事な姿で、樹齢350年と言われていました。しかし、昭和20年頃に残念ながら枯れてしまいました。

東武線の高架をくぐり、しばらく歩くと荒川の土手に突き当たります。この辺りの荒川は大正から昭和にかけて人工的に掘削されたものなので、当然、江戸時代には、ここを流れる大河はありません。現代の旅人は、この場所から対岸へは渡れないので、下流にある堀切橋を渡るか、上流にある千住新橋を渡るかして迂回することになります。

右手の坂を上り、さらに階段を使って土手上に上がります。

下流の堀切橋を目指します。

右手にはスカイツリーも見えます。

荒川右岸の土手道を歩くこと10分強で、堀切橋(都道314号)の手前、並行して走る京成線が見えてきますが、土手道は線路に遮られて、そのまま橋へ向かうことができません。このため、河川敷に降りて、線路と堀切橋をくぐり、一旦、橋の南側に回り、舗装道路を歩いて堀切橋西詰交差点に出ます。

ここで何も考えずに、交差点を横断して、橋の左側の歩道を歩き始めましたが、

再び、荒川の反対岸の土手に入るには、先ほどと同じように、信号のある交差点を横断して、一旦、右側の河川敷に降りるしかありませんでした。

水戸街道の続く先を目指して、今度は反対岸の土手を上流に向けて歩き始めます。

右手には小菅西公園が見えます。

やがて、東武線の鉄橋が見えてきます。

川の向こうに見えるのは、先ほどの対岸で土手道に出た辺りでしょうか。

荒川で遮られた水戸街道の先に出るために、およそ45分かけて迂回してきました。土手から降りる階段の先、信号のある横断歩道が見えます。

水戸街道は住宅街の中を一直線に続いています。

その先、街道は綾瀬川の護岸堤に突き当たります。上の高速道路は首都高の小菅ジャンクションですね。

往時は、この場所に綾瀬川を渡る水戸橋という名の橋が架かっていました。橋を支えた石組みと「水戸橋跡地」の説明板があります。水戸橋が架けられたのは寛永年間(1624から1644年)と言われています。
水戸橋には徳川光圀の妖怪退治の逸話が残されています。この辺りでは、親をならず者に殺された狸がその仇を討とうと妖怪になり出没していました。ある時、光圀がこの地を通った際にその妖怪を退治しましたが、これは近くのお地蔵様が妖怪になった狸の身代わりになっていました。事情を知った光圀は後の世まで平穏が続くよう、傍らの橋の親柱に水戸橋と記したそうです。

現代の水戸橋はこの高い護岸堤を越えるため、上流方面へスロープで上ったところにあります。車道とは別に、歩行者や自転車の通る道も用意されています。

現代の水戸橋を渡ります。


*国土地理院の地図を加工しました。