奥州海道(2)白沢河原~氏家宿~喜連川宿~喜連川本町 その3
2025年4月5日
狭間田
奥州街道は氏家宿から一直線に北西方向へ進みます。氏家、櫻野地区を抜けると左右に田園風景が広がり、そして、正面には小さな丘陵が見えてきます。喜連川宿はこの丘を越えた先にあります。
喜連川には、日本三大美肌の湯の一つに数えられている温泉場があります。「日本三大美肌の湯」には喜連川の他に、嬉野温泉(佐賀)と斐乃上温泉(島根)があげられています。美肌の湯とは、いわゆるアルカリ性のお湯ですね。

国道293号の歩道を延々と歩くこと約30分で、国道は大きく右へカーブします。

カーブする右手脇には2体の大黒天が鎮座しています。
左の大黒様の土台には、明治の高低標(水準点)を示す几号と呼ばれる「不」の字に似た記号が刻まれています。明治10年(1877年)に、内務省地理寮(現国土地理院)が東京-塩釜間の奥州街道沿いで高低測量を行った際に、各所で設けた高低標の一つです。石などの不朽物に几号を記す必要がありましたが、この付近にはこの大黒天しかなかったと考えられています。
そういえば、日光街道歩きで、幸手宿入口にある神明神社の灯籠台にも几号を見ることができました。

国道293号は右へカーブしますが、奥州街道は国道と別れてさらに直進の道に入ります。

静かな街道歩きに変わります。道端には馬頭観音と二十三夜塔が祀られています。

道は丘陵地帯に入り、緩やかですが、長い坂を上っていきます。弥五郎坂と呼ばれています。

坂を上っていくと古戦場の説明板が立っています。天文18年(1549年)、那須氏、喜連川塩谷氏500騎と宇都宮尚綱率いる宇都宮軍2,000騎がこの場所で激突しました。この時、宇都宮尚綱は喜連川軍の鮎瀬弥五郎実光によって打ち取られ、宇都宮軍は退散したと言われています。

さらに、上り坂が続きます。

国道から分かれて10分ほど坂道を上っていき、セブンハンドレッドクラブゴルフ場の入口を過ぎると、やっと下り坂に変わります。

すぐのところで、右手に旧道が現れます。

入口には「史跡奥州街道(古道)」の説明板が立っています。この道はたびたび山腹が崩壊する難所であったため、明治13年(1880年)にう回路(左手の車道)が造られました。

古道に入ります。鬱蒼とした山林の中の道です。

杉の枯葉や枝に覆われていますが、路面は土道ではなく、簡易的な舗装がされています。

古道は一旦坂を上りますが、その先で長い下り坂に変わります。途中、俳人 高塩背山(たかしおはいざん)の墓へ通じる入口に、背山の説明板が立っています。喜連川出身の背山は、大正から昭和にかけて活躍した俳人で、若山牧水とも親交がありました。「郷土の自然を題材に、暖かい人間性を秘めた清明な歌を終生作り続けた。」と記されています。

深い林の中を抜けると、右手の一段高い場所に庚申塔が並んでいます。

その先の「止まれ」の標識の立つT字路で、先ほど分かれた車道(う回路)が左から合流します。ここまで、10分ほどの旧道歩きでした。

T字路を直進し、住宅地を抜けると、左手前方の高台の上に喜連川スカイタワーが見えてきます。スカイタワーはお丸山公園に建てられた展望タワーですが、東日本大震災で被災して、現在も立ち入り禁止になっています。お丸山公園は喜連川塩谷氏の喜連川城(大蔵ヶ崎城)跡を公園にしたもので、桜の名所でもあります。近くには喜連川温泉施設もあるようです。

さらに直線の道を進むと、正面のはるか先に荒川の土手が見えてきます。街道脇の大きな松は枯れているように見えますが、名残の松でしょうか。

街道は荒川の土手に突き当たり、道なりに荒川に沿って右へ曲がります。その角にはいくつかの勝善神が祀られています。

突き当りの土手に上ってみましょう。左手に咲く桜の木はよく見ると八重桜です。ソメイヨシノより先に咲く八重桜もあるのですね。

土手から、荒川の流れを望みますが、ちょうど河川工事中でした。ここまで歩いてきてだいぶ暑くなりましたが、心地よい風が吹いています。

土手道を東へ下流に向けて歩いていきます。土手に沿って枝垂れ桜の若木の並木が続いていて、こちらも花が咲き始めています。新しい桜の名所になりそうです。

その先の連城橋で荒川を渡ります。

連城橋の袂では、右手から直進して橋を渡る県道114号との交差点になっています。交差点で県道を横断した右手の角に道標が立っています。

「右 江戸道 左 下妻道」と記された寛延元年(1748年)の道標です。

連城橋を渡ります。歩道は右側にあります。

荒川の下流方面の眺めです。荒川は高原山系の釈迦が岳に源を発し、ここから下流の那須烏山市で那珂川と合流して大洗町あたりで太平洋に注いでいます。

喜連川宿
連城橋を渡ると喜連川宿に入ります。町中を歩いていくとすぐに、本町交差点に到着します。本日の街道歩きはここまでとします。交差点右手には喜連川本町のバス停がありますが、若干時間があるので近辺をもう少し歩いてみます。

交差点の少し先に、御用堀の標識があるので、左折します。

お屋敷の板塀の続く通りに沿って御用堀と呼ばれる用水が流れています。喜連川足利氏第10代藩主喜連川熙氏が天保13年(1842年)に防火や農業用水のために整備したものです。城下町の風情を残しています。

そして、喜連川本町バス停に戻りました。時刻は13:15で、今日は3時間50分の行程でした。その後、13:26発氏家駅行きのバスに乗り込みます。

およそ20分でバスは氏家駅前に到着しました。ロータリーには、先ほど荒川土手で見かけたものと同じ八重桜だと思いますが、見頃の桜が数本立っています。幹には「舞姫桜」と記されています。

