奥州街道(3)喜連川本町~喜連川宿~佐久山宿~大田原宿~金燈籠 その2
2025年5月23日
南和田
奥州街道は内川の造る平野部を抜けると長い上り坂が続きます。そして、坂の途中で土道に入っていきます。養豚場や工場の脇を抜けると、左手は畑、右手は木々の生い茂る森との境界を通っていきます。先人たちのブログでは、この土道は奥州街道の旧道ではなく、右手の森の中を通っていると言われています。途中、南和田の一里塚が現存しているようですが、さすがに、立ち入って探すことはしませんでした。日本橋から数えて34里目の一里塚です。

畑と森の境を歩いて5分ほどで、道は森の中へ入ることになります。一瞬、「え! ここに入るの?」と思いましたが、意を決して木々の葉をかき分けて進んでいきます。

その先は、歩くには十分な溝部の道になっています。この道が旧奥州街道そのものなのか、さらに、右側に遺構が通っているのかはよく分かりません。

森の中の道も5分ほどで抜けて、開けた畑の風景に変わります。

森の中から続く坂を下っていくと、右手に先ほど分かれた県道114号が見えてきます。

県道から分かれて土道を歩き、25分で再び県道と合流します。

民家の点在する下河戸地区に入ります。

街道は内川の造る平野部から丘陵地帯を越えると、今度は江川流域の平野部に入ります。すでに田んぼでは田植えが終わっています。今年は全国的なコメ高、コメ不足になっていますが、早く安定化に向かうといいですね。

直線道を進みます。

曽根田交差点を右折します。

県道の幅は狭くなり、センターラインも歩道もない道に変わります。交差点からさらに下っていきます。

「天皇御小休之際御前水」と記された石碑が立っています。明治9年(1876年)、明治天皇の巡幸で休憩した際、献上した飲水を取水した場所を示しています。湧水があったのでしょうか。

その隣には双体道祖神が立っています。先ほどの道祖神と同様に、昭和63年(1988年)建立の新しいものです。

宮下橋で江川を渡ります。

江川の下流方面の眺めです。丘陵と丘陵の間に水田域を造り、この先で荒川へ合流します。

さらに田園風景が続きます。

麦秋の風景です。

街道端に鮮やかなオレンジのポピーが。

老人ホームの看板が見える手前には、

右手広場の入口に「史蹟 明治天皇引田原小休所址」碑が立っています。先ほどの御前水碑あたりからここまで水が運ばれ、一服されたのでしょうか。

広場の奥には「明治天皇御休輦之處」碑も立っています。

こちらは白と紫のツートン花菖蒲ですね。

さらに、下河戸地区を進みます。

「右 喜連川 左 佐久山」

このあたりでも大谷石造りの蔵をよく見かけます。

街道端には「ほほえみ仏」と記された3体の石仏が祀られています。見る側もほほえましい限りですね。
ところで、この近辺の個人宅の敷地内に一里塚が現存しているということらしいのですが、よくわかりませんでした。下河戸の一里塚で、日本橋から数えて35里目の一里塚です。
