今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

奥州街道(4)金燈籠~大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~寺子 その4

 

2026年4月11日

 

越堀宿

 

 現代の奥州街道は昭明橋を通ると容易に鍋掛宿から越堀宿へ那珂川を渡ることができますが、往時はひとたび増水すると旅人は水が引けるまで足止めを余儀なくされていました。鍋掛宿は正保3年(1646年)に天領となり、那珂川がその防衛ラインの役割を果たしていました。同時に対岸には越堀宿が設置され、那珂川をはさんだ宿駅機能が強化されました。

 越堀宿内を進むと、白河側口にあたる桝形跡の手前に浄泉寺があります。寄り道をしましょう。

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奥州街道(4)金燈籠~大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~寺子 その3

 

2026年4月11日

 

樋沢

 那須野が原は日本最大級の扇状地と言われ、奥州街道はその扇状地の中を佐久山の箒川から、この先の那珂川までを貫いています。途中、平坦で広大な風景を見せてくれるだけでなく、湧水の流れが存在したりしています。

 乙連沢のセブンで休憩をした後、これといった川を横断することもなく、この那須野が原を感じさせる平らな土地を45分ほど歩くと、樋沢公民館前バス停に到着します。

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奥州街道(4)金燈籠~大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~寺子 その2

 

2026年4月11日

 

中田原の一里塚

 

 奥州街道は大田原宿内を抜け、蛇尾川を渡ると扇状地の作る平坦地の中を進むことになります。その先、歩くこと30分弱で一里塚が見えてきます。中田原の一里塚と呼ばれ、大田原市の史跡に指定されています。北塚のみ現存してますが、説明板には道路拡張に伴い1.5m後方に移動したと記されています。

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奥州街道(4)金燈籠~大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~寺子 その1

 

2026年4月11日

 

大田原宿

 

 JR西那須野駅からバスに乗り、9:40にトコトコ大田原前バス停に到着しました。このところ日々の忙しさに流され、気が付くと街道歩きが出来ずに1年近くも経ってしまいました。これではいかんと意を決し(?)、大田原にやってきました。

 天気は晴れ、気温はまだ4月の初旬だというのに夏日に近づく予報が出ています。すでにこの時間から日差しの強さを感じますが、乾いた風が吹き、まずまずの街道歩き日和になりそうです。

 9:50に本日のスタート地点に向けて歩き始めます。

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奥州街道(3)喜連川本町~喜連川宿~佐久山宿~大田原宿~金燈籠 その4

 

2025年5月23日

 

田谷川

 

 奥州街道は佐久山宿を抜け、箒川を渡ると、これまでのいくつもの丘陵を越えた道から一変して、平坦な台地上の道に変わります。この台地は、箒川とこの先を流れる那珂川の造る広大な扇状地から形成されていて、那須野ヶ原とも呼ばれています。

 このような扇状地では表層近くの礫層が水を通しやすいため、那須の山々で降った雨水が伏流水として地下を流れ、ところどころで湧水として湧き出ています。大田原市内でもいくつかの湧水源が見られます。

 奥州街道を歩いていくと、田谷川を渡ります。とても澄んだ水が流れるこの川にも近くに湧水源があるようです。

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奥州街道(3)喜連川本町~喜連川宿~佐久山宿~大田原宿~金燈籠 その3

 

2025年5月23日

 

佐久山

 

 奥州街道喜連川宿の手前から丘陵地帯に入ります。このさくら市北部に広がる丘陵地帯には、北西から南東へ荒川、内川、江川、引田川等がほぼ平行に流れ、その流域に狭いながらも浸食による平野部を形成しています。このため、地形図を見ると縞々な模様を造り出しています。北へ向かう奥州街道は、丘陵を越えては川を渡り、その先で再び丘陵を越えたりと、あるいは、丘陵と平地の際を通ったりと、変化に富んだ歩きを楽しませてくれます。

 引田川沿いを歩き、ほほえみ仏のすぐ先で、さくら市から大田原市に入ります。

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奥州街道(3)喜連川本町~喜連川宿~佐久山宿~大田原宿~金燈籠 その2

 

2025年5月23日

 

南和田

 

 奥州街道は内川の造る平野部を抜けると長い上り坂が続きます。そして、坂の途中で土道に入っていきます。養豚場や工場の脇を抜けると、左手は畑、右手は木々の生い茂る森との境界を通っていきます。先人たちのブログでは、この土道は奥州街道の旧道ではなく、右手の森の中を通っていると言われています。途中、南和田の一里塚が現存しているようですが、さすがに、立ち入って探すことはしませんでした。日本橋から数えて34里目の一里塚です。

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