脇往還
2025年2月24日 文巻橋 水戸街道は茨城県に入り、取手宿、藤代宿を通り、藤代宿(宮和田宿)の東端にある小貝川岸までやってきました。対岸は常陸国になります。往時の旅人は宮和田の渡しから小貝川を舟で渡っていましたが、現代の旅人は少し上流の県道208号…
2025年2月24日 藤代 江戸初期の水戸街道は我孫子宿口を抜け、東へ進むと約10km先の布佐で利根川を渡り、対岸の布川から北上して若柴宿へ向かっていました。この頃は利根川、鬼怒川、小貝川をはじめとする河川の整備が進められ、それにより、取手から藤代にか…
2025年2月24日 取手宿 9:00に取手駅に着きました。前回、利根川を渡って茨城県に入りましたが、1か月ぶりの取手駅です。天気は快晴で、相変わらず寒い朝です。2月に入り、2度目の「長く、強烈な寒波」が来ています。偏西風の蛇行の影響なのか、日本海の海水…
2025年1月26日 柴崎 我孫子宿を後にした水戸街道は成田道との追分から北東へ進み、途中、JRの車両基地に行く先を阻まれてしまいますが、我孫子市の水道局の先から、旧道に戻ります。すぐのところには、柴崎神社があります。
2025年1月26日 根戸 水戸街道は大堀川を越えてから、根戸の大坂を上り、台地の上を通ってきました。昔ながらの落ち着いた家並みが残る根戸地区を進むと、水戸街道は右へ大きくカーブします。ここも大曲でしょうか?
2025年1月26日 南柏 常磐線に乗って南柏駅に8:30に到着しました。天気は快晴ですが、今日も冬型の気圧配置でとても寒いです。おまけに風が強く、手がかじかんでカメラを持つのも億劫になります。この冬は晴天の日が多く、例年に比べると雨や雪が少ないような…
2025年1月11日 二ッ木 国道6号の別称は水戸街道と呼ばれています。ここまで旧水戸街道をトレースしてきましたが、国道6号沿いはさほど歩いておらず、まだ、国道歩きの苦痛は味わっていません。これからでしょうか。 蘇羽鷹(そばたか)神社前の信号で国道6号…
2025年1月11日 松戸宿 前回、千住宿をスタートして水戸街道を東へ歩き、江戸川を越えて松戸宿までやって来ました。今日は松戸駅から水戸街道を歩き始めますが、その前に、水戸藩最後の藩主、徳川昭武が当主の座を退いた後に別邸として住んでいた戸定邸を見学…
2024年12月28日 葛西神社 千住宿で日光街道から分かれて東へ歩き、江戸川のほとりの葛西神社までやって来ました。 葛西神社は元歴2年(1185年)にこの地を治めていた葛西清重が下総国香取神社より勧請したのが始まりです。上葛西、下葛西33郷の総鎮守とされ…
2024年12月28日 水戸橋 現代の水戸街道は国道6号の別称になっています。一方、旧街道を表す名称としては旧水戸街道の他、水戸道中、水戸海道とも呼ばれています。ここでは、主に水戸街道と記載していますが、イコール旧水戸街道としています。 現代の旅人は…
2024年12月28日 千住宿 先日、東海道歩きを終え、五街道は残り奥州街道のみとなりました。すぐにでも奥州街道歩きに入ろうと思いましたが、この秋はドタバタして歩きを始めることができませんでした。すでに冬の寒い時期に突入してしまったこともあり、奥州…
2023年11月11日 愛宕神社 埋田の追分で消失した佐屋街道と合流して愛宕神社境内の西側を通り、その先の二又を右に入りますが、二又を左折して愛宕神社の正面に出ます。 白い拝殿が静かに鎮座しています。このあたり一帯の愛宕という地名が近郊の人々の信仰を…
2023年11月11日 神守宿 佐屋街道は神守の一里塚付近から神守宿に入り、下町を通った先で、右に曲がり中町に入ります。中町から350mほど歩いた先、上町の突き当りで今度は左折します。 右手奥には、延喜式神名帳にも載る憶感(おっかん)神社がありましたが、…
2023年11月11日 稲屋 佐屋街道は万場宿から砂子を通り、稲屋交差点の先で旧道に入ります。旧道といっても普通の町並みが続きます。
2023年11月11日 万場宿 土手道から右へ下る所で、対岸にある岩塚宿方面を望みます。写真の左側白い横長ビルの右脇が佐屋街道の突き当りです。そこから旅人は万場の渡しと呼ばれる舟渡しを利用していました。そして、こちら側の船渡し場は、ここから少し下流…
2023年11月11日 烏森 名古屋駅で近鉄に乗り換えて8:30に烏森駅に到着しました。名古屋から各駅で3駅目という便利なところにあります。天気は晴れで、暑くもなく寒くもなく、街道歩き日和です。佐屋街道に面している西口から8:35に歩き始めます。 三里の渡し…
2023年10月22日 熱田追分 佐屋湊の三里の渡しへ向かうため、これから佐屋街道を歩きます。七里の渡しから、先ほど左折した熱田追分に戻り、そのまま直進します。ここからは美濃街道と佐屋街道の相乗り区間になっていますが、佐屋街道は先にある金山駅付近で…
今へ続く日光西街道を歩くと 現代の日光西街道(壬生通り)を喜沢の追分から今市の追分まで辿りました。途中の楡木の追分から今市までは日光例幣使街道との相乗り区間となっていて、特に、今市までの杉並木は例幣使街道の杉並木として一般に知られていますが…
2019年4月6日 板橋宿 杉並木がなくなり、板橋地区に入ります。普通にある国道沿いの住宅街といった感じです。右手、大貫屋酒店あたりが大貫本陣跡です。
2019年4月6日 文挟 スギ花粉の季節も過ぎ、暖かくなってきたので、街道歩きを再開することにします。本日は例幣使街道と日光西街道の最終区間である今市追分まで歩く予定です。天気は晴。最高気温は15℃くらいになるらしいです。宇都宮経由で文挟駅に9:00に到…
2018年11月24日 富岡の一里塚 左手、萩原鉄工所の先に富岡の一里塚跡があるということですが、それを示すものを見つけることはできませんでした。このあたりで写真を1枚。日本橋から数えて28里目の一里塚です。
2018年11月24日 鹿沼宿 電車を乗り継いで8:50に新鹿沼駅に着きました。天気は快晴です。気温は少し冷っとした感じで、歩くにはちょうど良い気候です。9:00に歩き始めます。
2018年10月13日 北赤塚の一里塚 北赤塚の一里塚は東西両塚が残っているように見えます。日本橋から数えて25里目の一里塚です。
2018年10月13日 壬生宿 8:30過ぎに壬生駅に到着しました。天気は曇りで、気温は15℃くらいです。本日は終日曇りですが雨は降らず、20℃位になる予報だったので、久しぶりに街道歩きにやってきました。半袖のシャツの上に薄手の長袖のシャツを羽織っただけだっ…
2017年12月29日 飯塚の一里塚 琵琶塚古墳を眺めつつ、その先を歩くと道の両側に一里塚があります。飯塚の一里塚です。日本橋から数えて22里目の一里塚です。両塚とも現存していて、東塚には石碑と説明板が立っています。
2017年12月29日 喜沢追分 今日から日光西街道を喜沢追分から今市追分まで歩くことにします。宇都宮線に乗って、8:30に小山駅に到着しました。駅で簡単な朝食を済ませて、8:50分から歩き始めます。今日は天気が良いのですが、真冬の寒さです。駅前通りを西へ…
今へ続く日光例幣使街道を歩くと 例幣使は日光東照宮に幣帛を奉納するために遣わされた勅使で、正保3年(1646年)から幕末の慶応3年(1867年)までの221年間、毎年欠かさず続けられました。この例幣使一行が主に往路だけ利用した上州倉賀野宿から野州楡木の…
2017年12月23日 金崎宿 金崎宿に入り、信号のある交差点のすぐ左手奥が金崎駅です。合戦場駅入口から1時間20分かけて歩いたことになります。
2017年12月23日 嘉右衛門町 右折してY字路を左に入るとそこからは、国の重要伝統的建物群保存地区に指定された嘉右衛門地区に入ります。天正年間(1573~1615年)に岡田嘉右衛門が農地を開墾したのが始まりで、江戸時代には日光例幣使街道が整備され、旗本畠…
2017年12月23日 河合町 東武線に乗って、8:30に栃木駅へ到着しました。1年ぶりにこの地に立ちます。天気は快晴、今日は気温が15℃近くまで上がる予報ですが、やはり、朝は寒いです。 今回の街道歩きは楡木の追分までです。ここで日光例幣使街道は終わりにして…