五街道
2025年5月23日 田谷川 奥州街道は佐久山宿を抜け、箒川を渡ると、これまでのいくつもの丘陵を越えた道から一変して、平坦な台地上の道に変わります。この台地は、箒川とこの先を流れる那珂川の造る広大な扇状地から形成されていて、那須野ヶ原とも呼ばれてい…
2025年5月23日 佐久山 奥州街道は喜連川宿の手前から丘陵地帯に入ります。このさくら市北部に広がる丘陵地帯には、北西から南東へ荒川、内川、江川、引田川等がほぼ平行に流れ、その流域に狭いながらも浸食による平野部を形成しています。このため、地形図を…
2025年5月23日 南和田 奥州街道は内川の造る平野部を抜けると長い上り坂が続きます。そして、坂の途中で土道に入っていきます。養豚場や工場の脇を抜けると、左手は畑、右手は木々の生い茂る森との境界を通っていきます。先人たちのブログでは、この土道は奥…
2025年5月23日 喜連川本町 氏家駅前から関東自動車バスに乗って9:10くらいに喜連川本町バス停に到着しました。前回の帰りに乗車した喜連川本町バス停は、本町交差点を右に入ったところにありましたが、今日降りた停留所は本町交差点の少し先の別の場所にあり…
2025年4月5日 狭間田 奥州街道は氏家宿から一直線に北西方向へ進みます。氏家、櫻野地区を抜けると左右に田園風景が広がり、そして、正面には小さな丘陵が見えてきます。喜連川宿はこの丘を越えた先にあります。 喜連川には、日本三大美肌の湯の一つに数えら…
2025年4月5日 勝山城 奥州街道は阿久津大橋で鬼怒川を渡り、かつての鬼怒川の舟運で栄えた上阿久津地区に入ります。さらに鬼怒川に沿って北へ進み、段丘崖を上っていくと、左手一帯には勝山城址が広がっています。付近はさくら市の桜の名所がありますが、ソ…
2025年4月5日 白沢 2週間ぶりに宇都宮駅前に立ちました。天気は晴れで、気温は前回に比べると少し肌寒く、最高気温も20℃まで届かないようです。今日のスタート地点に向かうため、駅西口8:52発のバスに乗りこみます。 バスは前回歩いた奥州街道に沿って走り、…
2025年3月22日 海道町 奥州街道は日光街道との追分から宇都宮の街の中心部を通り、今泉町から県道125号に入ります。県道125号は主要な幹線道路になっていて、車の行き来が結構激しい道です。 宇都宮の中心から直線の続く県道の歩道を歩き、途中休憩も入れま…
2025年3月22日 宇都宮宿 昨年の10月に東海道を完歩して、五街道も奥州街道を残すのみになりました。3月も下旬になってやっと暖かくなってきたので、今日から奥州街道を歩き始めます。 徳川家康・秀忠が整備を進めた五街道は幕府体制を維持するシステムの一つ…
今へ続く東海道・佐屋街道を歩くと 2年10ヶ月かけて日本橋から草津の中山道追分まで歩きました。草津から京三条大橋までは東海道と中山道の相乗り区間であり、すでに中山道歩きで完歩しています。 東海道は江戸時代以前から、鎌倉や江戸と京を結ぶ交通の幹道…
2024年10月14日 岡 現代の東海道はかつての立場があった目川を抜けて岡地区に入ります。目川立場の田楽茶屋は有名ですが、実は元伊勢屋を始めとする3軒の茶屋はここ岡地区に建っていました。 街道が大きく右へ曲がるところに、左から合流するT字路があります…
2024年10月14日 手原 東海道は栗東市の伊勢落地区、林地区と、落ち着いた街並みを通り抜け、梅の木立場のあった六地蔵地区に入ります。東海道名所図会にも描かれていた和中散本舗の大きな店舗が往時の賑わいを想像させます。 その先、手原地区に入ると右手に…
2024年10月14日 林 東海道は伊勢落地区を抜けて林地区に入ります。右手の長徳寺には薬師如来堂が建ち、その前には、ここにも、栗太八景の漢詩の石碑があります。 上野夜雨(かみののやう) 茅屋は寂寥なり上野の郷 村前と村後には雨声長し 隠晴定難し雲来り…
2024年10月14日 石部 宿泊先の南草津から電車を乗り継いで、8:15に石部駅に着きました。天気は快晴ですが、昨日同様、暑くなりそうです。 今日は草津宿の中山道との追分まで歩き、東海道はこれで完歩になります。草津追分から京三条大橋までは、すでに、中山…
2024年10月13日 柑子袋 東海道は立場のあった夏見から、針、平松を通り、柑子袋(こうじぶくろ)地区に入ります。柑子袋とは珍しい名前ですね。 光林寺の道を隔てた向かいには八島寺地蔵堂への道標が立っています。八島寺地蔵堂は街道から左手に入った先にあ…
2024年10月13日 吉永 通称「吉永マンボウ」と呼ばれているトンネル、天井川である大沙川を貫くトンネルを通りましょう。上を川が流れているとすれば、結構な高さがありますね。このトンネルは明治17年(1884年)に造られました。江戸時代の旅人はこの土手を…
2024年10月13日 横田橋 東海道は横田の渡し跡まで来るとそのまま野洲川を渡ることができません。川沿いの県道を下流に向かって歩き、現代の横田橋で渡川します。 ススキの穂が出始めたところです。赤みかかっていて、いつも見るススキと種類が違うのですかね…
2024年10月13日 林口 東海道は水口城の築城や城下の整備により、石橋の先から城内を避けるために北側を通る道に付け替えられました。この道はのべ6回ほど角を曲がり、かつての東海道筋、天王口跡を直進した道に戻ります。 西見附を通り、水口城下を抜けると…
2024年10月13日 水口宿 新幹線を使って米原、草津経由で水口石橋駅に10:30過ぎに到着しました。5ヶ月ぶりの水口宿です。10月に入ってやっと猛暑も収まり、乾燥した空気に覆われるようになりました。とは言うものの今日の最高気温は25~26℃なので、この晴天だ…
2024年5月12日 水口宿 東海道は東の見附跡から水口宿に入ります。その先、元町交差点を過ぎると、趣のある町並みが続きます。
2024年5月12日 今宿 東海道は間の宿大野の町並みを抜けると、大野交差点で国道1号の北側を回り込みます。大野交差点から今宿地区を20分ほど歩くと、再び、国道1号に合流します。合流する角には東海道土山今宿碑と大きな燈籠が立っています。
2024年5月12日 前野 JR草津線貴生川駅からあいくるバスに乗って東前野バス停に着きました。時刻は8:00です。昨日の好天とは打って変わって、今日はどんよりと曇った空が広がっています。昼くらいから雨の予報なので、早めにやって来たのですが、水口宿あたり…
2024年5月11日 土山 往時の繁栄、賑わいを現すかのように、おおよそ2kmも続く土山宿の町並みを通り抜けると、東海道は国道1号に突き当たります。国道を横断して、わずかに西へ歩いた先で右の旧道に入ります。
2024年5月11日 土山宿 鈴鹿峠から近江国に入った東海道は、徐々に高度を下げながらかつて立場で栄えた山中や猪鼻の町並みを抜けていきます。蟹が坂の先で広重が描いた田村川橋を渡ると、田村神社の深い森に入り込みます。田村神社の第一鳥居をくぐると、土山…
2024年5月11日 猪鼻 伊勢国と近江国の境となる鈴鹿峠を越え、山中の一里塚跡の先から猪鼻村に入ります。往時の猪鼻村は立場として賑わっていました。右手には「旅籠 中屋跡」の石碑が立ち、その奥には「明治天皇聖蹟碑」があります。説明板によると、明治元…
2024年5月11日 鈴鹿峠 坂下古町にある片山神社から、木々が鬱蒼と茂る林の中、急な坂道を上っていくとあっけなく鈴鹿峠に到着します。峠から近江国に入ると、全く別世界の開けた風景が広がり、土山茶として有名なお茶畑が目に入ってきます。
2024年5月11日 坂下古町 東海道は坂下宿を過ぎ、徐々に高度を上げていきます。やがて、国道に合流しますが、その先すぐに右手の道に入ります。山の中にひっそりと片山神社の社標が立っています。
2024年5月11日 市之瀬の一里塚 市瀬地区の家並みを抜けると、鈴鹿川に沿って単調な国道1号を歩きになります。国道1号が鈴鹿川を跨いだ先の左手には、一里塚址の石碑が立っています。市之瀬の一里塚で、日本橋から数えて107里目の一里塚です。
2024年5月11日 関宿 前日泊の草津から8:50くらいに関駅に着きました。ここまで意外と時間がかかりました。今日の天気は晴で、最高気温は25℃くらいになる予報です。これ以上暑くなると、歩くのは辛くなりますね。今シーズンは今回で打ち止めかもしれません。…
2024年4月13日 関宿 関宿までたどり着きました。関宿は東の追分から西の追分までの1.8kmの間に江戸末期から明治までに建てられた町屋が続き、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。中山道の奈良井や妻籠、馬籠の町並みも素晴らしいですが、関宿は…