2022年12月25日
松岡
県道396号を進みます。県道の先には富士川橋が見えてきますが、橋方面の車が渋滞しています。
車がだらだら走っていて、なかなか、写真が取れませんでしたが、反対側の道の脇には明治天皇御小休所址碑が立っています。
富士川橋の手前には水神社があります。正保3年(1646年)に堤防工事の完成を願い創建されました。神社の建つこの地は富士山の溶岩流が露出しているところで、水没したり流されたりしない安全な場所でした。
境内には富士川渡船場跡碑が立っています。平成13年(2001年)に建立されたものです。かつて東海道を行き来する旅人は富士川を船で渡りました。川の状況により上中下の渡船場が利用され、この付近に最下流の渡し場がありました。
また、渡船場跡碑の隣には富士山道の道標が立っています。宝暦8年(1758年)に、東海道から富士山へ向かう登山者のために、神社の少し離れた東側に立てられました。
富士川橋を渡ります。右手に歩行者用の橋が架けられています。
富士川を渡ります。橋からの雪を頂いた富士山の眺めがとても素晴らしいです。富士川は、これまで歩いてきた甲州街道で一緒だった釜無川や笛吹川の下流の呼び名になっています。甲斐国と駿河国を結ぶ水運が発達しました。
およそ10分弱で橋を渡り切るとT字路に突き当たります。反対側の歩道に渡り右折します。
50mほど歩き左折します。
この先、路面には東海道の方向を示す表示がプリントされていて、迷うことはありません。
コの字状に折り返し、急坂を上ります。
道なりに右へ直角に曲がり、さらに坂道を上るとT字路に出ます。ここは左折します。
岩淵地区に入ります。高台にある道を進みます。
岩淵は吉原宿と蒲原宿の中間にある間の宿でした。小休本陣(茶屋本陣)常盤家の家屋が残っています。この地の名主を勤めていた常盤家は渡船役も勤めていました。
その先には一里塚が見えてきます。
岩淵の一里塚で両塚とも現存しています。日本橋から数えて、37里目の一里塚です。写真は蒲原宿方面から振り返って見たものです。
この付近には岩淵名産の栗の粉餅を振る舞う茶店が並んでいました。
岩淵の一里塚から道なりに右折して、さらに、富士川第一小学校の前を左折して、クランク状に進みます。その先に秋葉山常夜燈が道端に立っています。
中之郷地区の街並みです。
左手歩道脇に消火ホース格納庫がある交差点を右折します。右手歩道には東海道の方向を示す矢印がプリントされています。
さらに中之郷地区を進みます。
ここにも秋葉山常夜燈があります。
道なりに坂道を上っていくと東名高速道路の下をくぐります。
高速道路をくぐったらすぐに左折して、高速道路脇を進みます。
道なりに右へ曲がるとその先で小池橋を渡ります。
まだまだ、中之郷地区を進みます。
この先のツル家さんで栗の粉餅をお土産に買って帰りました。いただいた由来書によると栗の粉餅はお菓子というよりは力餅的に食されていました。岩淵の茶店で振る舞われていた栗の粉餅は大正時代までは売られていましたが、その後、消えてしまったものをツル家さんが現代風にアレンジして復活させたそうです。こし餡に栗の粒を混ぜた大福のような餅に栗の粉がまぶしてある素朴でとてもおいしい餅でした。