今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

鎌倉街道上道(2)湘南深沢からゆめが丘 その2

 

2023年1月2日

 

柄沢

 

 柄沢神社を出て、スーパー銭湯の前を左折するとまた下り坂が始まります。区画整理された住宅街になっています。

 

 スーパー銭湯の角を曲がって三つ目の十字路を右折します。

 

 角には新しいものと古そうな道祖神が二基立っています。

 

 静かな住宅街を進みます。

 

 やがて、滝ノ川の脇に出ますが、その先の橋を渡ります。

 

 橋の袂には双体道祖神が立っています。背の高さが違いますね。

 

 橋を渡ってすぐを右折して、滝ノ川脇を進みます。その先、加藤段ボール前を左折します。ここから先はしばし旧街道をトレースします。

 

 右手には農地が広がっています。やはり、前を歩く人たちがいます。

 

 急坂を上ります。この辺りは藤沢市鎌倉市横浜市戸塚区の境界にあたります。

 

 急坂を上り切って道なりに進むと県道30号との交差点、鉄砲宿交差点に出ます。県道は旧東海道で、昨年4月にこの地を通過しました。

 鉄砲宿の謂れは次のようです。昔々、この辺りの大店で「おはん」と呼ばれる大蛇が飼われていました。「おはん」かなりの大食いでしたが、主の稼業が傾きかけても、主は「おはん」にたっぷりの食事を与えていました。「おはん」は主の大変さを思い、近くの池に逃げていきます。しかし、その池では思うような食事にありつけません。ある時、池の脇を通る人の影を食べると、それはもうおなか一杯になったそうです。しかし、影を食べられた人は病気になってしまいました。このことを知った近所の人は、猟師に頼んで「おはん」を打ち取ってしまいました。打ち取られた場所が鉄砲宿と呼ばれ、池があった場所が影取と呼ばれて、今でもその名前が残っています。

 

 交差点を右折して県道に入ります。これまでの前を歩く人々の向かう先がやっと分かりました。みんな箱根駅伝の応援に駆け付けたようです。今日は1月2日、往路なので右側の歩道に人々が集まっています。

 

 ファミリーマートの前のT字路を左折して国道1号の上を渡ります。

 

 俣野別邸前を道なりに右へカーブします。俣野別邸は昭和14年(1939年)に住友家の別邸として建てられました。国の重要文化財に指定されています。

 

 細い道を進むと信号のある交差点に着きます。

 

 交差点の角には庚申塔群があります。

 

 交差点で庚申塔の脇を回り込み、坂道を下っていきます。東海道は尾根沿いを通っていて、鎌倉街道はその尾根を跨いでいます。

 

 田園風景が広がります。鉄砲宿交差点の手前で、一旦、旧街道は途切れますが、この辺りは旧街道に沿っています。

 

 道の先に鳥居が見えてきます。鳥居手前の十字路の右からの道は、大船を通り、鎌倉七口の一つ巨福呂坂へ通じる街道です。

 

 八坂神社の鳥居です。鳥居脇には石塔と鎌倉街道西の道の説明板があります。この道が鎌倉街道西の道(上の道)であることを示し、新田義貞の鎌倉攻めの様子が記されています。

 

 道を下っていくと、正面に八坂神社が見えてきます。参道が舗装道に削られてしまったようです。

 

 その先、龍長院の入り口があります。

 

 龍長院に入る道の一本手前の道の脇に石仏が並んでいます。傍らには「旧鎌倉街道の道筋」の説明板というよりは案内板が立っています。

 

 緩やかに下って境川の作る平野部へ出ます。

 

 突き当りを右折します。

 

 かつての横浜ドリームランドのホテル棟が見えます。今は横浜薬科大学の校舎として使われています。よく見ると工事中でしょうか。

 

 境川の支流宇田川に突き当たるので道なりに川沿いを進みます。

 

 左折して橋を渡り直進します。

 

 道なりに右へカーブする向こう側は明治学院大学のグランドとのことです。

 

 その先で県道403号を横断すると、右手角には庚申塔が並んでいます。

 

 

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